TRENDIA CLASSIC

手紙

堀辰雄

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一 丸岡明に

一九三三年六月二十日、K村にて  こつちへ來てから、もう二十日になる。それだのに、まだ何も仕事をしないで、散歩ばかりしてゐる。この頃の散歩道としては、あのM病院の向うの、小川に沿つた一本道がそれはいい。アカシアの花がいま眞つ盛りだ。何ともかんとも云へぬ好い香りがして、その下を歩いてゐるとぞくぞくしてくるくらゐだ。そこでM博士らしいものを見かける。いつもパイプをくはへて、生墻(病院の裏)の方へ身をこごめながら、注意深さうにその枝などを調べてゐる。野薔薇が一めんに蕾をつけてゐるんだ。いまにも咲きさうだ。今朝も、そこへ行きがけに、まだ釘づけになつてゐる教會の前を通つたら、私の知らぬ間に、眞つ白な花を咲かしてゐる、大きな木が二三本あるのに始めて氣がついた。そしてその花が風もないのにぽたりぽたりと散つてゐる下で、村の子供たちがバスケットボオルをやつてゐるところは、さながら一枚の繪はがきだつた。しばらく僕は立ち止つて見とれてゐたが、そのうち男の子の一人がするするとその木に登つていつた。すると木の下から他の子供が「嗅いでみなア……いい匂がするぜ」と叫んだので、その木の上の子供は手をのばして、花をりとつて、それを鼻へもつていつたが、「ウエッ、臭え……」と言ふなり、その花を木の下の子供へ投げつけた。僕は僕の足もとに落ちてゐたその白い花を、拾はうとしかけたところだつたが、それを聞いたので止めにした。なんだか本當に臭さうな氣がしたもんだから。一體、あれは何んといふ花なのかしらん?

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