七つの手紙
本文約11,200字 ・ 読了時間 約23分
あらすじ(AIが作成しました)
追分や軽井沢の山村で執筆を続ける著者が、離れた地にいる知人へあてた書簡を収める。古典日記を題材にした小説の構想や、『蜻蛉日記』にみる女性の苦悩と運命への考察、リルケの愛読を通じた創作への思索を綴る。また、山村での火災による蔵書喪失という災禍を経ながらも、愛する死者への追悼となる『風立ちぬ』のエピローグを完成させ、自身の創作と精神的な成長を静かに描き出す。
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一
一九三七年九月十一日、追分にて お手紙を難有う。私達の仲間のものはもう殆ど此村から引き上げて行きました。さうしてこれからは、この小さな村の何もかも、みんな私が一人占めです。
夏の間、みんなでよくおしやべりをしにいつたあの栗の木、――さういふ私達の午後のために涼しい木蔭をつくつてゐてくれた、あの栗の木の下に、私は二三日前から、一人でもつて本や紙を一かかへ抱へていつては、そこで山蟻などを殺しながら、本を讀んだり、手紙を書いたりしてゐます。こんな事を一週間ほども續けてゐるうちに自分の考へをやをら仕事の方へ向けて行かせようといふのが、私のいつもの手。――きのふの午後も、今かうやつて貴方に手紙を書いてゐるこの木蔭に寢ころびながら、私はアベラアルとエロイィズの手紙の事を書いた本に讀みふけつてゐました。あのエロイィズの純粹な場合、――既にもうアベラアルとの間に一人の子までなしながら、妻たらんよりは、戀人たらんことを欲して、アベラアルの求婚を一時斥けようとまでしたエロイィズの心意氣、――それからさういふ二人の戀が世間から攻撃の的となり、遂に別れ別れに修道院に入つてから、數年後再び二人が取りかはすやうになつた手紙の中の、相手を思ひ切らせて神のみに仕へようとしながら、しかも自ら相手を思ふのを禁じ得ずして惱みもだえる彼女の切なげな姿、――さういふエロイィズの歎かひが、數世紀後、その中に再び同種の小禽の叫びのやうに認められる、あの葡萄牙尼の苦しげな手紙、――そんな昔の不幸な戀人たちの殘していつた手紙だとか、或は日記だとかを、私はこの頃その一つを殆ど身から離さない位にしてまで讀みふけつてゐるのです。