TRENDIA CLASSIC

ふるさとびと

堀辰雄

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おえふがまだ二十かそこいらで、もう夫と離別し、幼兒をひとりかかへて、生みの親たちと一しよに住むことになつた分去れの村は、その頃、みるかげもない寒村になつてゐた。

淺間根腰の宿場の一つとしての、瓦解前の繁榮にひきかへ、今は吹きさらしの原野の中に、いかにも宿場らしい造りの、大きな二階建の家が漸く三十戸ほど散在してゐるきりだつた。しかもそのなかには半ば廢屋になりながら、まだ人の棲んでゐるのがあつたり、さすがにもう人が棲まずになり、やぶれた床の下を水だけがもとの儘せせらぎの音を立てて流れてゐるやうなのも雜じつてゐた。

村の西のはづれには、大名も下乘したといはれる、桝形の石積がいまもわづかに殘つてゐる。

その少し先きのところで、街道が二つに分かれ、一つは北國街道となりそのまま林のなかへ、もう一つは、遠くの八ヶ岳の裾までひろがつてゐる佐久の平を見下ろしながら中山道となつて低くなつてゆく。そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。

その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。秋晴れの日などに、かすかに煙を立ててゐる火の山をぼんやり眺めながら、貧しい旅びとらしいものがそこに休んでゐる姿を今でもときどき見かけることもあるのだつた。

おえふの生れた家、牡丹屋は、もとはこの宿の本陣だつた。何もかも昔のつくりで、二階はいかめしい出格子になり、軒さきに突きでた木彫りの蒼龍にも、まだ古さびた色が何處やらに、ぼんやりと殘つてゐた。……

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