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TORENDIA

姨捨記

本文約7,000字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

更級日記の作者である一人の女性に惹かれ続けた著者が、信濃の姨捨山を訪ねてその文学的背景を考察する。本作は、物語に夢中になる少女時代のあやうさや中年の哀愁を抱えた彼女の人生を追うとともに、日記の表題の由来や古歌との結びつきを紐解く。著者は、自らの短編小説でその境遇を投影しながら、王朝文学における女性の心境と姨捨山という土地が象徴する孤独や哀傷の世界を綴る。

堀辰雄

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🎧 姨捨記 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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「更級日記」は私の少年の日からの愛讀書であつた。いまだ夢多くして、異國の文學にのみ心を奪はれて居つたその頃の私に、或日この古い押し花のにほひのするやうな奧ゆかしい日記の話をしてくだすつたのは松村みね子さんであつた。おそらく、その頃の私に忘れられがちな古い日本の女の姿をも見失はしめまいとなすつての事であつたかも知れない。私は聞きわけのよい少年のやうにすぐその日から、當時の私には解し難かつた古代の文字で書綴られたその日記のなかを殆ど手さぐりでのやうに少し往つては立ち止まり立ち止まりしながら、それでもやうやう讀みすすんでゐるうちに、遂に或日そのかすかな枯れたやうな匂の中から突然ひとりの古い日本の女の姿が一つの鮮やかな心像として浮かんで來だした。それは私にとつては大切な一瞬であつた。その鮮やかな心像は私に、他のいかなるものにも増して、日本の女の誰でもが殆ど宿命的にもつてゐる夢の純粹さ、その夢を夢と知つてしかもなほ夢みつつ、最初から詮めの姿態をとつて人生を受け容れようとする、その生き方の素直さといふものを教へてくれたのである。

さうやつて少年の日に「更級日記」を讀み、さういふ古い日本の女のひとりに人知れぬ思慕を寄せてゐたのは、しかし私の心の一番奧深くでだつた。私は誰にもその思慕については自分から言ひ出さうとはしなかつた。只一度、私は何かの話のついでに佐藤春夫さんの前でちよつとその事に觸れたが、そのとき佐藤さんもこの日記を大へん好んでゐられることを知ると、反つて私は何んだか氣まりの惡いやうな氣がして自分の思つてゐることを餘計しどろもどろにしか言へなかつた事をいまだに覺えてゐる。それから數年立ち、他の仕事などに取り紛れて、いつかこの日記からも私の氣もちの離れ出してゐた頃、保田與重郎君がこの日記への愛に就いて語つた熱意のある一文に接し、私は何かその日頃の自分を悔いるやうな心もちにさへなつてそれを感動しながら讀んだものだつた。それ以來、再びこの日記は私の心から離れないやうになつてゐた。

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