初秋の淺間
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
九月の雲が流れ去り青空が広がる浅間山の山麓で、その雄大な姿に見せられた滞在者の記憶や、追分の宿で偶然出会ったイタリア帰りの老婦人との静かな交流を綴る。常に表情を変え、時には人を惹きつけて離さない峻厳さを秘めた山と、その麓の宿で平穏な一日を過ごす人々の姿を描き出す。かつての旅人が街道で抱いた感慨が今も漂うこの地で、枯れた向日葵を背に刻々と移ろいゆく山容を眺め、しみじみとした旅情と静謐な時間が流れる様を詩情豊かに表現する。
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この山麓では、九月はたいへん雲が多い。しかし、夏の近づく頃の雲の不活溌な動きとは異つて、白い、乾燥した、動きのいちじるしい雲の塊りが不連續的に通り過ぎる度毎に、何かがそれらの雲とともに一剥されでもしたかのやうに、そのあとで青空はいよいよ本物の青空に近づいてゆく。――さういふ雲のたたずまひが、とても好い。林のなかの空地などに寢そべつて見てゐると、さういふ雲は絶えず西から東へとときどき日かげを翳らせながら流れてゆく。
さういふ雲のなかから、淺間山もたえず見え隱れしながら、ときどきその全貌をすつきりと爽やかに見せたりする。山肌はいよいよ黄ばみ、夏などもつと多いと思つてゐた煙りが、思ひがけず、殆どあるかないか位にしか立つてゐなかつたりする。――が、さういふ時くらゐ、淺間山が魅惑的に見えることはない。日がぱあつと當つて、それがまだ何物をも温めてゐない、もうかなり肌寒いやうな朝など、起き拔けにふところ手をして山を見に出ると、そんな朝は淺間はきまつて雲ひとつない山肌を冷え冷えと見せてゐる。その山肌一めんに日が赤あかとあたり出すのを眺めてゐると、山自身が見る間に淡い雲を湧き立たせ、ヴェイルのやうに漂はせ、だんだんそれが濃くなつていつて、しばらくする裡に自分自身を半分以上その雲のなかに隱してしまふ。それから終日、そのなかに見え隱れしてゐる。