花を持てる女
本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
子供の頃に手にした一枚の見知らぬ若い女性が生花をしている写真。その人物が実の母の若い頃の姿だと知っても、筆者は長い間、母の面影と結びつけることができない。母の死後、かつての美しい写真の記憶と晩年の母の姿が心の中で重なり合う中で、筆者は母がかつて芸者であったのではないかという空想を抱く。自らの亡き母の過去に思いを馳せ、心の中に残る美しい母の肖像と、母の半生に対する個人的な追懐を綴る。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私がまだ子供の時である。
私はよく手文庫の中から私の家族の寫眞を取り出しては、これはお父さんの、これはお母さんの、これは押上の伯父さんのなどと、皆の前で一つづつ得意さうに説明をする。そのうち私はいつも一人の見知らぬ若い女の人の寫眞を手にしてすつかり當惑してしまふ。
いくらそれはお前のお母さんの若い時分の寫眞だよと云はれても、私にはどうしてもそれが信じられない。だつて私のお母さんはあんなによく肥えてゐるのに、この寫眞の人はこんなに痩せてゐて、それにこの人の方が私のお母さんよりずつと綺麗だもの……と、私は不審さうにその寫眞と私の母とを見くらべる。
其處には、その見知らぬ女の人が生花をしてゐるところが撮られてある。花瓶を膝近く置いて、梅の花かなんか手にしてゐる。私はその女の人が大へんに好きだつた。私の母などよりもつと餘計に。――
それから數年經つた。私にもだんだん物事が分るやうになつて來た。私の母は前よりも一そう肥えられた。それは一つは、私をどうかして中學の入學試驗に合格させたいと、淺草の觀音さまへ願掛けをされて、平生嗜まれてゐた酒と煙草を斷たれたためでもあつた。そして私の母はそれ等の代りに急に思ひ立たれて生花を習はれ出した。私はときをり、さういふ生花を習はれてゐる母の姿を見かけるやうになつた。そんな事から私はまたひよつくり、何時の間にか忘れるともなく忘れてゐた例の花を持つた女の人の寫眞のことを思ひ出した。その寫眞は私の心の中にそつくり元のままのみづみづしい美しさで殘つてゐた。私はその頃は頭ではそれが私の母の若い時分の寫眞であることを充分に認めることは出來ても、まだ心の底ではどうしてもその寫眞の人と私の母とを一緒にしたくないやうな氣がしてゐた。