TRENDIA CLASSIC

文學的散歩

堀辰雄

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私は先頃プルウストについてエッセイを書いた時、プルウストの小説の構成については敢へて觸れようとしなかつた。その時はまだプルウストの小説を切れぎれにしか讀んでゐなかつたから。そして小説の構成などと云ふものは全體を通讀して見た上でなければ分るものではあるまいから。しかし私はそれを切れぎれに讀みながら、一體この小説はどんな構成を持つてゐるのであらうかと時々氣になつた。そしてプルウストのことを批評したものなどを讀む場合もそれに注意をしてゐたが、あまりそれに觸れたものは見當らなかつた。そのうちに私はバンジャマン・クレミユの「二十世紀」といふ本の中の批評に出遇つた。それにプルウストの小説の構成を論じた一節があるが、それが何と云ふ理由もなしにいつの間にか、私の懷抱しはじめてゐた「無構成の構成」説を打破して呉れた。他日私がこの小説の全體を讀んだ上でも果してその説に無條件で同意し得られるかどうかは分らないが、今假りにその説を信ずるとして、ざつと此處に書き止めて置かう。

バンジャマン・クレミユは「失はれた時を求めて」の構成の基本となつてゐるものを大體三つ擧げてゐる。

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