TRENDIA CLASSIC

レエモン ラジィゲ

堀辰雄

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「何よりもまづ獨創的であれ。」しばしば發せられるこの忠告は、凡庸な詩人たちのところでのみ役に立つ。凡庸でない詩人たちはそれを必要としないのだ。そして多くの凡庸な詩人たちがダダの亞流になつた。何よりも獨創的にならうとする努力、そこに今日の詩人たちの共通の弱點――奇矯にすぎること――があると言つてよい。ところでそれとは反對に、ラジィゲは我々に忠告するのだ、「平凡であるやうに努力せよ」と。

平凡であらうとする努力、これくらゐラジィゲの作品を貴重にしたものはなかつたのである。

ラジィゲの持つてゐる平凡、――この一點を中心にして僕は大きな感動をもつて一つの圓周を描かう。

ラジィゲは一九〇三年六月十八日に生れ、そして一九二三年十二月十二日に二十で死んだ。

ラジィゲは死んだが、それと同時に、彼の詩人としての生涯は始まつたと言つてよい。何故なら彼は三册の著書を殘して行つたからだ。一つの詩集「火のやうな頬」と、二つの小説「憑かれて」と「ドルジェル伯爵の舞踏會」と。そしてその詩集は人々をして彼のことを「二十世紀のロンサアル」と呼ばしめるに充分であつたし、十六と十八の間に書いた「憑かれて」はコクトオによつてコンスタンの「アドルフ」に比せられ、十八と二十の間に書いた「ドルジェル伯爵の舞踏會」は「一九三五年を豫想してスタンダアルによつて書かれた『プランセス・ド・クレエヴ』だ」と評されてゐるほどである。

だから世間が彼のことを神童扱ひにするのは無理もない。だが彼は「神童」といふレッテルを貼られるのをひどく厭がつた。そして彼はそれについて抗議までした。「年齡なんか何でもないのだ。ランボオが僕を驚かせるのは、ランボオの作品であつて、彼がそれを書いたときの年齡ではないのだ。すべての偉大な詩人は十七で書いた。最も偉大な詩人はそれを忘れさすことの出來た人達だ。」コクトオもまた「ドルジェル伯爵の舞踏會」の著者を辯護して「日附のない本の年齡のない著者」と呼んでゐる。

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