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TORENDIA

ヴェランダにて

本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分

あらすじ(AIが作成しました)

1935年晩秋、高原のサナトリウム。二人の患者がヴェランダで対話を行う。一人は、ジャック・リヴィエェールの未完の小説『フロオランス』を読みながら、作者の悲痛な姿と作品への失望や期待を語る。もう一人は、創作への姿勢や日本と西洋の作家の違いについて問いかける。対話を通じて、リヴィエェルの小説技術の限界と、対照的な作家モオリアックの創作手法、さらにカトリシズムが文学に与える影響や、現実の「再現」と「置き換え」の相違が浮き彫りになる。

堀辰雄

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一九三五年晩秋。或高原のサナトリウムのヴェランダ。二人の患者の對話。

A 君はよくさうやつて本ばかり讀んでゐられるなあ。

B うん。どうも書くことを禁ぜられてゐると、本でも讀んでゐるより他に時間のつぶしやうがないからね。しかし、かうやつて本でも讀みながら、それとなく次の仕事のことでも考へてゐるうちが、僕等には一番愉快なのだよ。

A その本は何だい?

B これか。これはジャック・リヴィエェルの「フロオランス」といふ小説だ。これを書きかけで、この可哀さうな男は死んでしまつたのだ。

A リヴィエェルつて「エテュウド」を書いた奴かい?

B うん、あいつだ。あの「エテュウド」を飜譯した連中に云はせると、リヴィエェルなんていふのはまるで希臘神話の中の龜みたいな奴で、生れつき飛べないくせに自分でも飛ばうとして、鷲かなんぞに引張り上げて貰つたが、途中で墜落してしまやあがつたと云ふのだが、――ほら、そんな繪があの本の表紙についてゐたらう? ――隨分怪しからんことを云ふと思つて、すこしリヴィエェルが可哀さうになつてゐたが、どうもこの「フロオランス」なんか讀んでゐると、それも半ば肯定したくなつてくるね。……僕はずつと前から、この「フロオランス」といふ小説の草案のやうなものだけは知つてゐた。隨分面白いものになりさうで、大いに期待してゐた。それがやつと今年の春に――リヴィエェルが死んでからもう十年になるが、――單行本になつたので、早速取り寄せて貰つたのだが、讀んでみたら草案なぞで想像してゐたのとはまるつきり違ふ。期待が大きかつただけ、それだけ失望も大きいのだ。

A そんなにつまらないのかい?

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