僕はこの頃、芥川龍之介書翰集(全集第七卷)を讀みかへした。そしてちよつと氣のついたことがあるから、それを喋舌つて見たい。
芥川さんは brilliant な座談家だつたさうである。さういふどこか才氣煥發といつたやうな風貌は大正七、八年頃の書翰の中にうかがはれないことはない。しかし、さういふ芥川さんは僕のすこしも知らない芥川さんだ。
又、芥川さんは風流人だつたさうである。なるほどひと頃の書翰を見ると、終日俳句に凝つたり、なんといふ雅號をつけようかと苦心したりしてゐる。さういふ「澄江堂主人」もまた僕はあまり知らないのである。
それでは、僕の知つてゐる芥川さんはどういふ人かといへば、そのやうな談論風發といつた人でもなければ、又、風流な澄江堂主人でもない。その頃からもう神經衰弱であつたせゐか、むしろ話の下手くそな、無風流な人であつた。しかし、さういふものを通じたおかげで、僕はかへつて芥川さんの本當の brilliance に接觸してゐたのである。
晩年の諸書翰は、さういふ吃りがちな芥川さんをかなり明瞭に語つてゐる。その中には、書くのがいやでいやで仕樣がないといつた調子の手紙が少くない。さうでなければ、大抵は自分の病苦を友人に訴へた手紙だ。ことに齋藤茂吉氏宛の數通の書翰にはもう心身共に疲れ切つてゐたらしい芥川さんの姿が髣髴される。そしていかにも齋藤氏一人を頼りにされてゐたらしいやうである。それらの書翰を通じて、齋藤氏の芥川さんに對する温かな心使ひをしみじみと感じるのは僕一人だけであらうか。
漱石、鴎外の兩氏を除けば、芥川さんのもつとも私淑してゐた先輩は、齋藤茂吉氏と志賀直哉氏の二人であるといつてよい。就中、齋藤茂吉氏については、その歌をいかに愛してゐるかを芥川さん自ら「僻見」(全集第五卷)の中で書いてゐる故、僕はここには書翰集の中から數行を引用して見よう。