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TORENDIA

ハイネが何處かで

本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

独逸語への親しみを深める語り手が、リルケの『マルテ・ラウリッヅ・ブリッゲの手記』を紐解き、巴里で孤独に生きる主人公の経験や断片的な挿話を綴る。また、コクトオが独逸語で記した詩集に触れ、その無邪気で稚拙な表現の中に宿る、ハイネの抒情を思わせる独特の味わいや、「空を飛ぶ子」という詩が持つ無骨な魅力を考察する。文学作品への愛好を通じ、言語の響きや詩的な感興のあり方を思索する論考である。

堀辰雄

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🎧 ハイネが何處かで / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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ハイネが何處かで、自分は獨逸人の頑固なのは大嫌ひだが、獨逸語は大好きだ、詩の言葉としては世界中で一番美しいだらうといふやうな意味の事を言つてゐたと記憶する。

この頃、僕も獨逸語がすつかり好きになつてしまつた。しかし僕の獨逸語ときたら、少年の頃、習つたきりなのでほとんど忘れてしまつてゐるが、それでも辭書を引きさへすれば、どうやら意味ぐらゐは通じる。そんな興味も手つだつてか、この頃獨逸語の本を讀む時ぐらゐ愉快なことはない。いま、リルケを讀んでゐる。そのうちヘルデルリン、ノヴァリス等も讀まうと思つてゐる。

リルケの「マルテ・ラウリッヅ・ブリッゲの手記」を最近讀み出してゐるが、いいものであると思ふ。獨逸語の勉強かたがた、モオリス・ベッツといふ人の佛蘭西語譯を傍に置いて、すこし譯して見てゐる。

そのベッツの譯が出た時、ジィドの「地の糧」と比較されてかなり問題にされたらしい。しかし、その比較されたのはどういふ點か。なるほど兩者とも、詩とも小説ともつかないものである。それにまたエドモン・ジャルウの言ふやうに、共に「遊離」の文學である點が似てゐないこともない。しかし、兩者の雰圍氣はいちじるしく異ふのである。(ジィドもこの「マルテの手記」には甚だ興味をもつてゐるらしく、一九一一年この原書が出版された當時、いちはやくその斷片を若干「N・R・F」誌上に譯載してゐるとはいへ……)――この書は、丁抹の落魄した若い貴族マルテ・ラウリッヅ・ブリッゲが巴里に漂着して、そこで貧困や病苦と戰ひながら、まつたく一人きりで暮らしてゐるドキュメントである。巴里に滯在してゐた當時のリルケ自身の經驗が骨子となつてゐることは疑へない。

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