烈婦
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あらすじ(AIが作成しました)
八十三歳の井上信子が詠んだ川柳「国境を知らぬ草の実こぼれ合い」を機に、世界情勢や政治の愚劣さを考察し、日本の文学者が果たすべき「世界的発言」の責任を問う。戦争中の言動を省みる著者は、自身の変化を求める決意を吐露しつつ、信念を貫く老婦人のあり方を烈婦として称揚する。文学が政治という現実にどう向き合うべきかという主題を軸に、一人の老女の詩心を通じた社会批評を綴る随筆。
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「世界情勢吟」と題して川柳一句をお取次ぎする。
国境を知らぬ草の実こぼれ合い なんと立派なものではないか。ピリッとしたものが十七字の中に結晶している。ところでこれがなんと、八十三歳のお婆さんのお作なのだ、驚いていただきたい。
井上信子、とだけではわかるまい。が井上剣花坊の未亡人だといったら、なるほどと合点なさるだろう。「婦人朝日」誌上で紹介されていたのだが、こぼれ合う草の実こそは真実の人間である。真実の人間同士の間には国境などというあざといものはありゃしない。
この草の実のこぼれ合いを眼の中に入れてないところに、世界の政治の愚劣さがある。侵略とか防衛とかいうが、一たびこの十七字の吟ずるところに徹して考えるがいい。人間のあさましさ、百度の嘆息をしても足りぬことになるだろう。この句のこの味、もしもそっくり伝えられるものなら翻訳してもらって外国へも紹介したい。もう一寸早ければ、ダレスさんにお土産としてもって帰っていただきたかったところだ。
八十三歳の老婦人にしてこれほどの「世界情勢吟」をするのだから、日本の文学者諸君はさぞかし、と外国人はおもうかもしれぬ。そうなるとしかしこれは一寸困る。日本文学というやつは大体が政治嫌いでしてと、いろいろ特殊な伝統の説明などして、依然安閑たる文壇風景を弁解しなくてはなるまい。ペンクラブへは代表を出すのだが、世界の他の文学者諸君とは生活がちと違うのである。
だが、これからもなお「日本的」であっていいのか? もしも「世界的」にと明日を心がけるなら、やはり世界の問題へ目を向け頭を向け、草の実のこぼれ合うこまかい気を配って、文学は文学なりの「世界的発言」をせずばなるまい。税金の問題よりゃ戦争の方が実は却って身近の大事なのである。文芸家協会など、これに対してどう動いているのであろう。