演劇への入口
本文約3,500字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
演劇全体の姿を捉え、その正体を理解するための手引きを綴る。六人の専門家による演劇の多角的な見方や、興行に依存する日本の演劇界の現状、観衆が健全な演劇を育てる義務など、芸術としての演劇が民衆の生活と深く繋がるべき必然性を論じる。さらに、製作過程や上演の実態、歴史的背景を概説し、これから演劇に志す人々へ向けて、単なる娯楽ではない芸術家としての道を切り拓くための指針を提示する。
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演劇について語るということは、演劇のある部分について語るということではない。
演劇がいろいろの要素から成っていることはたれにでもわかるが、それらの要素がどんな関係において組み合わされているか、ということは、専門の道にはいってみなければ容易にわからない。
演劇は総合芸術なりという説も、一応は成り立つけれども、文学、美術、音楽というような各種の芸術が、ただ、ある割合で混ぜ合わされているのではもちろんない。それらの芸術をいかに深くきわめていても、それだけで演劇はつくり出せないし、また、味わいつくせるものでもないのである。
こう考えてくると、演劇について正しい知識をうるためには、演劇の一つの窓から、その中をのぞくようなことをしないで、演劇全体のすがたを大きくつかんで、そこへはいっていくたしかな道を自分で捜すことが大切である。
つまり、演劇全体のすがたを、どういうふうに読者に印象づけたらいいか、それをまず私はくふうした。
そこで、六人の専門家によって、それぞれ、演劇の六つの見方を分担してもらう案をたてた。
この六つの見方によって、あらかじめ、演劇の正体なるものを誤りなく見とどけ、その上で、各自の好みによって「おもしろい芝居」を見、各自の才能に応じて、「舞台芸術の一分野」を開拓すればよいのである。
われわれは、手近にあるものを、偶然選ぶことで満足してはならないと思う。
演劇は、いつの時代でも、民衆の生活と欲求とを反映するものであるが、時として、それは、ゆがめられた政治や、卑俗な商業主義によって、民衆自身の真の希望を裏切るようなものに堕落する。民衆はしばしば「あるもので間に合わせる」習慣になじむところから、常にきびしい注文を持ち出すことを忘れてしまう。
日本の演劇の水準が、どの程度のものかということは、もちろん議論の余地はあるが、少なくとも現代人の生活に根をおろし、そこから健かに伸び育ったというものは、ごくわずかしかない。
演劇のほとんどすべてが、興行者の手中に握られているという状態も、おそらく、近代社会に類をみないところである。