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TORENDIA

創建清眞寺碑

本文約8,900字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

陝西省西安の清眞寺内に存在する「創建清眞寺碑」について論じる。唐の天寶年間に建設されたとされるこの碑は、支那における囘教傳來の最古の遺蹟として重要視されてきた。しかし、碑文に用いられる用語や年代の記述には明らかな矛盾が見られる。著者は、唐代の歴史資料との照合や囘暦と支那暦の不整合を検証し、この碑が唐代の作ではない可能性を指摘する。さらに、囘教が支那で宗教として広く認知されたのが元代以降であると考察する。

桑原隲藏

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創建清眞寺碑は支那の陝西省西安府城學習巷の清眞寺内に在る。支那に於ける囘教の傳來を記した最古の石碑として、囘教徒の間には非常に珍重されて居る。碑文に據ると唐の玄宗の天寶元年(西暦七四二)の建設であるから、かの徳宗の建中二年(西暦七八一)に建てられた大秦景教流行中國碑よりも約四十年前のものである。

西暦千八百六十六年に露國の Palladius 僧正が始めてこの碑を學界に紹介したが、餘り世間一般の注意を惹くに至らなかつた。西洋の學者で實地に就いてこの碑を親覩した人もなく、且は支那の金石書類にこの碑を著録してないから、碑その物の存在に就いてすら疑惑を挾む者も尠くなかつたが、一昨年の末に出版された Broomhall 氏の『支那のイスラム教』中に初めてこの碑の照相を掲げてから、漸くこの疑惑の雲は霽れて來た。

吾輩は去る明治四十年の秋、西安に遠征を試みたる際に、この清眞寺を訪ふたが、時黄昏に迫つて、創建清眞寺碑の所在を確め得ずに歸途に就いた。併しその後幸に在西安鈴木教習の好意によつて、碑の拓本を手にすることを得た(本文は後に掲載されてある)。

一體今日支那全國に於ける囘教徒の數は甚だ多い。最近の Broomhall 氏のやや精密な調査には、その數を四百七十三萬(最少數)乃至九百八十二萬人(最多數)と算して居る(1)。支那囘教の研究の開拓者として盛名ある Thiersant 氏はこれを二千萬乃至二千百萬人と算して居る(2)。兩者の間に隨分懸隔はあるが、國民の總數すら確實に調査されて居らぬ支那では蓋し免れ難い結果である。たとひ具體の數は知り得ずとも、吾が輩の陝西直隷方面旅行の實驗によつても、支那に於ける囘教徒の數の意外に多大なることだけは保證できる。

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