司馬遷の生年に関する一新説
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あらすじ(AIが作成しました)
『史記』の著者である司馬遷の生年は、『史記』や『漢書』に明記されておらず、古来より研究者の間で議論が続いている。本作は、従来の王国維による景帝中元五年説や張惟驤による武帝元光六年説を検討し、その根拠となる文献の弱点を指摘する。その上で、漢時代の簿書の形式を留める『博物志』の記述を最も信憑すべき史料と見なし、元封三年を二十八歳と解釈することで、建元六年を司馬遷の生年とする新しい説を論じる。
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一
司馬遷が支那の學者達に推奬される程、それ程の大歴史家であるかは、一の疑問と思ふ。率直にいふと、私は彼の史才や史筆に就いて、飽足らなく感ずる點が尠くない。併し彼の作つた『史記』は支那歴史の正史の模範となり、支那の史學界、否更に廣く東亞諸國の史學界に、多大の裨益と影響を與へて居る。この點より觀れば、彼は正しく支那史學の開祖として、百代に尸祝されるべき者で、西洋學者が彼に附與した「支那のヘロドトス」――The Herodotus of China――といふ稱號も、先づ當然と認めねばなるまい。所がこの支那史學の開祖たる司馬遷の事蹟は、存外に曖昧で確實に知られて居らぬ。
一體司馬遷の事蹟は『史記』卷百三十の太史公自序と、『漢書』卷六十二の司馬遷傳とを、第一の史料とする。太史公自序は司馬遷の自傳であるから、彼の事蹟に就いては十分詳實なるべき筈であるが、實際は必ずしも左樣でない。司馬遷の粗笨なる頭腦と、豪放なる筆致とは、記載せざるべからざる事項をも省略し、明確とせざるべからざる事項をも曖昧にして居る。班固の司馬遷傳も「報二任安一書一篇」の増補を除けば、その他は太史公自序の無責任なる鈔襲のみで、上述の缺陷に就いて、何等裨補する所がない。要するに『史記』と『漢書』とのみでは、司馬遷の事蹟を正確に知ることが出來ぬ。私は不確實なる司馬遷の事蹟の中で、彼の生年に就いて、聊か所見を披瀝したい。『史學研究』の創刊に際して支那史學の開祖たる司馬遷に關する事蹟を紹介するのは、寧ろ適當なる題目かと思ふ。
二