この一篇を、「新農民読本」として全国津々浦々の「小作人」と「貧農」に捧げる。「荒木又右衛門」や「鳴門秘帖」でも読むような積りで、仕事の合間合間に寝ころびながら読んでほしい。
一
「ドンドン、ドン」
泥壁には地図のように割目が入っていて、倚りかかると、ボロボロこぼれ落ちた。――由三は半分泣きながら、ランプのホヤを磨きにかかった。ホヤの端を掌で抑えて、ハアーと息を吹き込んでやると、煙のように曇った。それから新聞紙を円めて、中を磨いた。何度もそれを繰返すと、石油臭い匂いが何時迄も手に残った。
のめりかけている藁屋根の隙間からも、がたぴしゃに取付けてある窓からも、煙が燻り出ていた。出た煙はじゅくじゅくした雨もよいに、真直ぐ空にものぼれず、ゆっくり横ひろがりになびいて、野面をすれずれに広がって行った。
由三は毎日のホヤ磨きが嫌で、嫌でたまらなかった。「えッ、糞婆、こッたらもの破ってしまえ!」――思い出したように、しゃっくり上げる。背で、泥壁がボロボロこぼれ落ちた。何処かで牛のなく幅の広い声がした。と、すぐ近くで、今度はそれに答えるように別の牛が啼いた。――霧のように細かい、冷たい雨が降っていた。
「由ッ! そったらどこで、何時迄何してるだ!」――家の中で、母親が怒鳴っている。
「今、えぐよオ。」
母親はベトベトした土間の竈に蹲んで、顔をくッつけて、火を吹いていた。眼に煙が入る度に前掛でこすった。毎日の雨で、木がしめッぽくなっていた。――時々竈の火で、顔の半分だけがメラメラと光って、消えた。
「早ぐ、ランプばつけれ。」
家の中は、それが竈の中ででもあるように、モヤモヤけぶっていた。眼のあき所がない。由三は手さぐりで、戸棚の上からランプの台を下した。
「母、油無えど。」
「?」――母親はひょいと立ち上った。「無え?……んだら、※[#「┐<△」、屋号を示す記号、249-上-7]さ行って来い。」
「ぜんこ?」
「ぜんこなんて無え。借れて来い!」
由三はランプの台を持ったまま、母親の後でウロウロしていた。
「行げッたら行げ! この糞たれ。」
「ぜんこよオ!」――背を戸棚にこすりつけた。「もう貸さね――エわ。」