私の机
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
天神机や桐の机など、過去に愛用した机の思い出を綴る。作者は十五歳の時に購入し、転居を繰り返しながら長年連れ添った桐の机への愛着を語る。関東大震災ですべてを失った後、震災後に調達した安価な机を現在まで使用する経緯を記す。執筆環境としての机に対するこだわりや、生活の中で机が自分にとって欠かせない止まり木のような存在であることを明らかにし、執筆道具や作業空間への深い思索を収める。
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ある雑誌社から「あなたの机は」という問合せが来たので、こんな返事をかいて送る。
天神机――今はあと方もなくなってしまいましたが、私が子供の時代には、まだそれが一般に行われていて、手習をする子は皆それに向ったものです。わたしもその一人でした。今でも寺子屋の芝居をみると、何だか昔がなつかしいように思われます。
これも今はあまり流行らないようですが、以前は普通に用いる机は桐材が一番よいということになっていました。木肌が柔かなので、倚りかかる場合その他にも手あたりが柔かでよいというのでした。その代りに疵が附き易い。文鎮を落してもすぐに疵が附くというわけですから、少し不注意に取扱うと疵だらけになる。それが桐材の欠点で、自然に廃れて来たのでしょう。それから一貫張りの机が一時は流行しました。これも柔かでよいのと、軽くてよいのと、値段が割合に高くないのとで、一時は非常に持囃されましたが、何分にも紙を貼ったものであるから傷み易い。水などを零すと、すぐにぶくぶくと膨れる。そんな欠点があるので、これもやがて廃れました。それでもまだ小机やチャブ台用としては幾分か残っているようです。
わたしは十五のときに一円五十銭で買った桐の机を多年使用していました。下宿屋を二、三度持ちあるいたり、三、四度も転居したりしたので、殆ど完膚なしというほどに疵だらけになっていましたが、それが使い馴れていて工合がよいので、ついそのままに使いつづけていました。しかし十五の時に買った机ですから少し小さいのが何分不便で、大きな本など拡げる場合には、机の上を一々片付けてかからなければならない。とうとう我慢が出来なくなって、大正十二年の春、近所の家具屋に註文して大きい机を作らせました。木材はなんでもよいといったら、センで作って来たので、非常に重い上に実用専一のすこぶる殺風景なものが出来あがりました。その代り、机の上が俄に広くなったので、仕事をする時に参考書などを幾冊も拡げて置くには便利になった。