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TORENDIA

我家の園芸

本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

目黒へ転居し、庭で園芸を楽しむ著者が、自身の好む草花への愛着を綴る。西洋種や優雅な花よりも、糸瓜、百日草、薄、向日葵、鶏頭といった、野趣に富み力強い草花に独自の美を見出す。自然の恩恵をそのまま享受する素朴な庭づくりを肯定し、あえて都会的な洗練を避けることで、草花の生命力や季節の移ろいの中に素朴な喜びと心強さを見出し、都会の塵を忘れる園芸の楽しみと自然観を論じる。

岡本綺堂

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🎧 我家の園芸 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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目黒へ移ってから三年目の夏が来るので、彼岸過ぎから花壇の種蒔きをはじめた。旧市外であるだけに、草花類の生育は悪くない。種をまいて相当の肥料をあたえておけば、先ず普通の花はさくので、我々のような素人でも苦労はないわけである。

そこで、毎年慾張って二十種乃至三十種の種をまいて、庭一面を藪のようにしているのであるが、それでは藪蚊の棲家を作る虞れがあるので、今年はあまり多くを蒔かないことにした。それでもへちまと百日草だけは必ず栽えようと思っている。

私はむかしの人間であるせいか、西洋種の草花はあまり好まない。チューリップ、カンナ、ダリアのたぐいも多少は栽えるが、それに広い地面を分譲しようとは思わない。日本の草花でも優しげな、なよなよしたものは面白くない。桔梗や女郎花のたぐいはあまり愛らしくない。私の最も愛するのは、へちまと百日草と薄、それに次いでは日まわりと鶏頭である。

こう列べたら、大抵の園芸家は大きな声で笑い出すであろう。岡本綺堂という奴はよくよくの素人で、とてもお話にはならないと相場を決められてしまうに相違ない。私もそれは万々承知しているが、心にもない嘘をつくわけには行かないから、正直に告白するのである。まあ、笑わないで聴いてもらいたい。

先ず第一には糸瓜である。私はむかしからへちまを面白いものとして眺めていたが、自分の庭に栽えるようになったのは十年以来のことで、震災以後、大久保百人町に仮住居をしている当時、庭のあき地を利用して、唐蜀黍の畑を作り、へちまの棚を作った。その棚は私自身が書生を相手にこしらえたもので、素人の作った棚が無事に保つかといささか不安を感じていたところが、棚はその秋の強い風雨にも恙なく、へちまの蔓も葉も思うさま伸びて拡がって、大きい実が十五、六もぶらりと下ったので、私たちは子供のように手をたたいて嬉しがった。

その翌年の夏、銀座の天金の主人から、暑中見舞として式亭三馬自画讃の大色紙の複製を貰った。それはへちまでなく、夕顔の棚の下に農家の夫婦が凉んでいる図で、いわゆる夕顔棚の下凉みであろう。それに三馬自筆の狂歌が書き添えてある。

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