雪の一日
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
三月二十日の大雪により書斎へ閉じ籠もった著者が、窓の外の雪景色を眺めつつ、かつて信州の教員から受けた助言を回想する。地方では戯曲よりも小説や読み物が求められているというその提言を機に、場所や時を問わず広く読者を楽しませる大衆文学の普遍的な意義と可能性について考察し、執筆意欲を新たにする姿を綴る随筆。
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三月二十日、土曜日。午前八時ごろに寝床を離れると、昨夜から降り出した雪はまだ止まない。二階の窓をあけて見ると、半蔵門の堤は真白に塗られている。電車の停留場には傘の影がいくつも重なり合って白く揺いている。雪を載せたトラックが幾台もつづいて通る。雨具をつけて自転車を走らせてゆくのもある。紛々と降りしきる雪のなかに、往来の男や女はそれからそれへと続いてゆく。さすがは市中の雪の晨である。
顔を洗いに降りてゆくと、台所には魚屋が雪だらけの盤台をおろしていて、彼岸に這入ってからこんなに降ることはめずらしいなどと話していた。その盤台の紅い鯛の上に白い雪が薄く散りかかっているのも、何となく春の雪らしい風情をみせていた。
私はこのごろ中耳炎にかかって、毎日医師通いをしているのであるが、何分にも雪が烈しいのと、少しく感冐の気味でもあるのとで、今朝は出るのを見あわせて、熱い紅茶を一杯啜り終ると、再び二階へあがって書斎に閉じ籠ってしまった。東向きの肱かけ窓は硝子戸になっているので、居ながらにして往来の電車路の一部が見える。窓にむかって読書、ときどきに往来の雪げしきを眺める。これで向う側に小学校の高い建物がなければ、堀端の眺望は一層好かろうなどと贅沢なことも考える。表に往来の絶え間はないようであるが、やはりこの雪を恐れたとみえて、きょうは朝から来客がない。弱虫は私ばかりでもないらしい。