はなしの話
本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
歯の痛みに悩まされ、ついに総入れ歯となった作者が、自身の歯の脱落にまつわる思い出を綴る。特に記憶に残るのは、日露戦争中の満洲で中秋の名月を祝う宴の翌朝に下歯が抜けた出来事と、大正八年、欧州からの帰航時にインド洋上で上歯が抜けた出来事である。異郷の地で歯を失った際の寂寥感や、古今の文豪と自らを比較しつつ、自身の身体の変化と過去の記憶を静かに回顧する随筆である。
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七月四日、アメリカ合衆国の独立記念日、それとは何の関係もなしに、左の上の奥歯二枚が俄に痛み出した。歯の悪いのは年来のことであるが、今度もかなりに痛む。おまけに六日は三十四度という大暑、それやこれやに悩まされて、ひどく弱った。
九日は帝国芸術院会員が初度の顔合せというので、私も文相からの案内を受けて、一旦は出席の返事を出しておきながら、更にそれを取消して、当夜はついに失礼することになった。歯はいよいよ痛んで、ゆるぎ出して、十一日には二枚ながら抜けてしまった。
私の母は歯が丈夫で、七十七歳で世を終るまで一枚も欠損せず、硬い煎餅でも何でもバリバリと齧った。それと反対に、父は歯が悪かった。ややもすれば歯痛に苦められて、上下に幾枚の義歯を嵌め込んでいた。その義歯は柘植の木で作られていたように記憶している。私は父の系統をひいて、子供の時から齲歯の患者であった。
思えば六十余年の間、私はむし歯のために如何ばかり苦められたかわからない。むし歯は自然に抜けたのもあり、医師の手によって抜かれたのもあり、年々に脱落して、現在あます所は上歯二枚と下歯六枚、他はことごとく入歯である。その上歯二枚が一度に抜けたのであるから、上頤は完全に歯なしとなって、総入歯のほかはない。
世に総入歯の人はいくらもある。現にわたしの親戚知人のうちにも幾人かを見出すのであるが、たとい一枚でも二枚でも自分の生歯があって、それに義歯を取つけている中は、いささか気丈夫であるが、それがことごとく失われたとなると、一種の寂寥を覚えずにはいられない。大きくいえば、部下全滅の将軍と同様の感がある。