TRENDIA CLASSIC

二階から

岡本綺堂

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二階からといって、眼薬をさす訳でもない。私が現在閉籠っているのは、二階の八畳と四畳の二間で、飯でも食う時のほかは滅多に下座敷などへ降りたことはない。わが家ながらあたかも間借りをしているような有様で、私の生活は殆どこの二間に限られている。で、世間を観るのでも、月を観るのでも、雪を観るのでも、花を観るのでも、すべてこの二階から観る。随って眼界は狭い。その狭い中から見出したことの二つ三つをここに書く。

一 水仙

去年の十一月に支那水仙を一鉢買った。勿論相当に水も遣る、日にも当てる。一通りの手当は尽していたのであるが、十二月になっても更に蕾を出さない。無暗に葉が伸びるばかりである。どうも望みがないらしいと思っているところへ、K君が来た。K君は園芸の心得ある人で、この水仙を見ると首を傾げた。

「君、これはどうもむずかしいよ。恐く花は持つまい。」

こういって、K君は笑った。私も頭を掻いて笑った。その当時K君の忰は病床に横わっていたが、病院へ入ってから少しは良いということであった。ところが、その月の中旬に寒気が俄に募ったためか、K君の忰は案外に脆く仆れてしまった。K君の忰は蕾ながらにして散ってしまったのである。私の家の水仙はその蕾さえも持たずして、空しく枯れてしまうであろうと思われた。

年が明けた。ある暖い朝、私がふとかの水仙の鉢を覗くと、長く伸びた葉の間から、青白い袋のようなものが見えた。私は奇蹟を目撃したように驚いた。これは確に蕾である。それから毎日欠さずに注意していると、葉と葉との間からは総て蕾がめぐんで来た。それが次第に伸びて拡がって来た。もうこうなると、発育の力は実に目ざましいもので、茎はずんずんと伸てゆく。蕾は日ましに膨らんでゆく。今ではもう十数輪の白い花となって、私の書棚を彩っている。

殆ど絶望のように思われた水仙は、案外立派に発育して、花としての使命を十分果した。K君の忰は花とならずして終った。春の寒い夕、電灯の燦たる光に対して、白く匂いやかなるこの花を見るたびに、K君の忰の魂のゆくえを思わずにはいられない。

二 団五郎

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