大切な雰囲気
本文約690字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
関東大震災を経て関西に移り住んだ著者は、芦屋で画人・小出楢重と出会い、その話術に魅了される。数年の交際を経て画人はこの世を去るが、著者は自身の執筆活動において彼の芸術から大きな刺激を受けていた。本書は、近代大阪が生んだ稀有な画人の七回忌にあたり、彼との思い出や芸術的な影響、そして生前の俤を偲ぶ所感の数々を収める。
💰 この本を応援する(投げ銭)
人と人とが長い人生の行路に於いて偶然に行き遭い、相接触し、互いに感化を及ぼし、やがて再び別れ別れになって行く因縁を思うと、奇妙な感じがしないでもない。
私は関東の震災のために関西へ来、大正十三年から阪神間の住人になった。小出君は元来大阪の人であったが、芦屋にアトリエを建てて移って来られたのは、大正十四年頃であった。そして最初は山口謙四郎氏邸の会で、次にはつるやの朝日新聞社の会で、一二度顔を合わすうちにいつか私は小出と云う人をはっきり印象させられたのであるが、今考えると、それは故人の有名なる話術に魅了された結果であった。忘れもしないが、故人は山口邸の時、弟の縁談を断りに行ってアベコベに纒めて帰って来た滑稽談を一席弁じた。つるやの時は、奈良の色きちがいのお婆さんの話をして、そのお婆さんの顔が「わらじの底のようだった」と云った。
斯くて両人の間には当然長く続いたであろう交際が始まったのであるが、それが僅々数年の後に、突然の故人の逝去に依って絶たれてしまった。故人は私からどのような影響を受けたか、恐らく何も受けなかったであろうが、反対に故人の芸術が私に及ぼした感化の跡は可なり大きい。あの「蓼喰う虫」の挿絵時代に、遅筆の私が故人のかがやかしい業績に励まされつつ筆を執った一事を回想するだけでも、思い半に過ぎるのである。
早いもので、来年の二月にはもう七回忌が来ると云う。もし此の遺著の出版が丁度その時分に間に合ってくれたら、近代の大阪が生んだ稀有な画人の俤を偲ぶのに此の上もないよすがになると思う。敢て所感の一端を記して序に代える所以である。
昭和十年十一月 谷崎潤一郎しるす
完