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TORENDIA

図書館協会六十周年に寄せて

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の図書館界が経験してきた封建的な「文庫」という形式からの脱却と、大衆のための図書館への転換を論じる。かつて大名と小名の関係に倣っていた組織構造や、権威主義的な図書館運営を批判し、戦後の図書館法制定や新しい研修の試みを通じて、いかに真の民衆の図書館へと進化すべきかを説く。公共・学校図書館の連携やカードシステムの整備を提言し、組織的な文化国家への発展を目指す展望を示す。

中井正一

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🎧 図書館協会六十周年に寄せて / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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ユネスコの国際的報告書を読むと、日本はイスラエルとパキスタンにはさまれて、日本は図書館に関して処女地 Virgin Soil であると書いてあるにすぎぬのである。

私はこの数行を読むとき、いかにも敗れたる国のみじめな国際的取り扱いの地位を感じさせられたのである。

一等国であったのは、軍艦「大和」と、「人間魚雷」だけであって、文化の組織としては、パキスタン級であると世界は見、一野蛮国扱いなのである。

果たしてそうであろうか。しかも六十年の図書館の協会史をもっていてである。

ここに私たちの反省すべき点があるのである。彼らが図書館というのは、公衆がつくった、公衆のための、公衆が主宰する図書館のことである。

日本のこれまでの封建制の貴族の所有物であったとき、単にそれは財宝であって、人によって害せられず、水火で損ぜられないことがその主な目的であった風習がいまだ残っていたのである。

まだ陽明文庫が、その形をもっているように、富豪の持ち物としての静嘉堂文庫、東京文庫すらその形式を追っていたのである。

地方の中央図書館も、浅野文庫がそうであったように、それから転化したものがあったのである。

この伝統のもとにあったものは、はるかに民衆の上に聳えたち、見下し、威厳を保っていたのである。

欧州でも、この出発をもち、かの丸天井のロマネスクの教会風な威厳のコケ威しは、その残存物である。アメリカの国会図書館の旧館でも、レーニン図書館すらその残存物を残している。

この伝統を、欧米はいち早く脱して、「文庫から図書館へ」の道を一九〇〇年代に蝉脱していったのである。

日本は、それから立ち後れていったのである。協会はできていたが、会長と、図書館人との関係は、やはり大名と小名の身分関係の上に成立していたとも考えられるのである。

ちょうどそれのように、本の多く、建物の大きく、歴史の古いのが大図書館として格が上であると考えていたのである。

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