知己の第一人
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
明治三十三年、正岡子規の根岸庵で初めて出会った伊藤君との十数年にわたる交流を回顧する。対照的な体格や性格を持ち、作品の作風や執筆態度について時に議論を交わしながらも、互いに認め合う独自の信頼関係を築いてきた。本書は、自信に満ちた伊藤君の文学観に対する率直な評価や、自身の執筆姿勢との対比を綴ることで、長年続いた二人の交友の実態と、伊藤君という人物の人間的魅力を描き出す随筆である。
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私が伊藤君に會つたのは、丁度明治三十三年の四月の一日でした。子規先生の根岸庵短歌會の席上でした。三月の下旬に始めて根岸庵を訪問して四月の一日に伊藤君に會つたのでした。が其の時は別段談話を交換することも無かつた。それから二三日經つて私が伊藤君を訪問しました。折よく居まして種々話をしましたが、其の時私の言つた事を非常に喜んでくれた事が今でも明かに耳に殘つて居ります。根岸の多くの同人中私の訪ねたのは伊藤君が始めでした。それから今日に至るまで、上京する度に殆ど一度は伊藤君を訪ねない事は無かつた。最初の多くの同人中で終始變らずに交際を續けてゐたものは伊藤君と私位のものだらうと思ひます。
これは餘程後になつて考へたことで、この事は伊藤君へ手紙で言つてやつたこともあるのですが、一體伊藤君と私とは、よく考へて見ると殆ど總てが正反對である。第一體が違ふ。一方は肥つた強い偉大な體格であるが、私は非常に小さく痩せてゐて弱い。此の事に就いては子規先生在世中笑はれた事もある。それは或時先生の枕頭で柿本人麿の話が出た。其の時伊藤君は、人麿といふ人は、あの悠容として迫らない作風を見るとどうしても肥つた人に違ひないと言ふ。私はその説とは反對で、その響きの如何にも悲壯なのを見ると、どうしても痩せた人だと思はれると言つたことがありました。さういふやうな事で、子規先生は非常に笑はれて、その事を直きに「病牀六尺」だかに書かれたことがありました。