本文へ移動
TORENDIA

近作鉢の会に一言

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

料理における食器の役割を「着物」と定義し、現代の陶芸界が抱える質の低下に対する危機感と、作陶への真摯な信念を綴る。古今の名陶工たちが備えていた絵画や書に対する卓越した素養と比較し、現代の陶工に不足する精神性を指摘する。自身の作陶活動は美食研究の一環であり、単なる芸術の追及に留まらないことを説く。近作陶鉢の会での展観を通じ、作品の生命力を問うべく、同好の士や識者からの率直な意見を求めている。

北大路魯山人

速度
🎧 近作鉢の会に一言 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 3

料理は食器なしでは存在しないようです。

料理に対する食器の存在は人間に於ける着物の存在でしょう。着物なしでは人間が生活出来ないように、料理も食器なしでは独立することは出来ません。そう言えば食器は料理の着物だと言えましょう。

しからば料理に関心を持つ者は、料理の着物である食器に関心を持つ者は、料理の着物である食器に関心を持たぬ訳にはゆきますまい。古来人間が着物のこと衣裳のことに多大な関心を以てデザインが研究され、素地である織物、染色に驚くばかりの進歩が成し遂げられています。料理に於ける着物の食器も中国に於ては疾く明代、四、五百年前に既に完成を見ています。朝鮮では挙げて食器と言うほどのものはありませんが、御本手、樫手、やわらか手などいう鉢、高麗雲鶴手鉢、その他日本で抹茶碗に利用しているものに相当のものがあります。日本で四、五百年前すでに古瀬戸、古萩、古唐津、朝鮮唐津など当初から食器に出来たものが沢山あって、僅かに残されているものは今日大いに珍重され、千金万金と評価されて誇りがましき料理の着物として存在しています。なお個人作家としては仁清、乾山、木米等もっとも崇敬の的となり、好事家識者の間に重きをなしております。

北大路魯山人の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本