買食ひ
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
むかし女性の悪徳と見なされた「買食ひ」の変遷と、戦後の菓子事情を綴る。かつて主婦が甘味を個別に買うことは非難の対象であったが、時代の変化と共に社会に受容されていく様子を描く。戦後の物不足を経て菓子店が復興した現在、かつてのように菓子を蓄えることは困難となり、人々はその時々で必要量を買う生活へと移行した。著者は、現代の家庭における菓子との向き合い方や、地域による食習慣の違いについても考察を述べる。
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むかし私がまだむすめ時代には、家々の奥さんたちが近所の若い主婦やおよめさんの悪口をいふとき、あの人は買食ひが好きですつてね、毎日のやうに買食ひをしてゐるんですつて! といふやうなことを言つて、それが女性の最大の悪徳のやうであつた。それが美徳でないことは確かであるが、それでは買はないであまい物は何が食べられたかといふと、到来物の羊かんの古くかたくなつたのとか、それも毎日あるわけではなく、うちで仏さまに供へるおはぎでもつくるか、これはお彼岸と御命日だけにきまつてゐるし、小さい子供たちは昔も今と同じやうに飴玉でもしやぶらされてゐたのだらうから例外だけれど、けつきよく、買食ひをしなければ甘いものは口にはいらなかつた。時たまお菓子を買つて家じうそろつてお茶を飲むとか、隣家のをばさんをお茶に呼ぶとか、さういふのは買食ひの部ではなく、これはパァティみたいなもので、いともかんたんな宴会なのだから、決して買食ひではなかつた。若い主婦が甘い物を買つて、一人あるひは二人さし向ひで食べれば、買食ひをすると見られてゐたのらしい。昔の人は、女性が自分の口にだけ入れるためお金を使ふといふのは非常にだらしがなく無駄づかひのやうに思つてゐたのだが、その後世の中がだんだん忙しく変つて、女のひとがデパートに買物に行つて一人で食堂にはいりおしるこやおすしを食べても、それは買食ひとは思はなくなつた。但し昔から東京人が物見遊山やおまゐりに出かければ、帰りにはきつと何処かに寄つておそばかうなぎを食べ、なるべくけんやくしても、くづ餅やおだんご位はたべたのだから、デパートの食堂に入ることも昔のおまゐりと少しはつながりがあつたのかもしれない。大正時代からは中年の女でも一人で銀座のコーヒを飲んで差支へないやうになつた。