快走
本文約5,200字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
冬の住宅街に暮らす道子は、窮屈な生活の中で鬱屈を晴らすため、夜な夜な着物の下に運動着を隠して多摩川の堤防へ出かけ、月明かりの下でランニングに興じる。家族に隠して密かに情熱を傾けるその行為は、やがて両親の知るところとなる。娘の様子を案じた両親は、その秘密を突き止めるために夜道を追いかけるが、思いがけず自分たちも月夜の堤防で疾走し、活力を取り戻す喜びを見出す。
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中の間で道子は弟の準二の正月着物を縫い終って、今度は兄の陸郎の分を縫いかけていた。
「それおやじのかい」
離れから廊下を歩いて来た陸郎は、通りすがりにちらと横目に見て訊いた。
「兄さんのよ。これから兄さんも会社以外はなるべく和服で済ますのよ」
道子は顔も上げないで、忙がしそうに縫い進みながら言った。
「国策の線に添ってというのだね」
「だから、着物の縫い直しや新調にこの頃は一日中大変よ」
「はははははは、一人で忙がしがってら、だがね、断って置くが、銀ぶらなぞに出かけるとき、俺は和服なんか着ないよ」
そう言ってさっさと廊下を歩いて行く兄の後姿を、道子は顔を上げてじっと見ていたが、ほーっと吐息をついて縫い物を畳の上に置いた。すると急に屈托して来て、大きな脊伸びをした。肩が凝って、坐り続けた両腿がだるく張った感じだった。道子は立上って廊下を歩き出した。そのまま玄関で下駄を履くと、冬晴れの午後の戸外へ出てみた。
陽は既に西に遠退いて、西の空を薄桃色に燃え立たせ、眼の前のまばらに立つ住宅は影絵のように黝ずんで見えていた。道子は光りを求めて進むように、住宅街を突っ切って空の開けた多摩川脇の草原に出た。一面に燃えた雑草の中に立って、思い切り手を振った。
冬の陽はみるみるうちに西に沈んで、桃色の西の端れに、藍色の山脈の峰を浮き上らせた。秩父の連山だ! 道子はこういう夕景色をゆっくり眺めたのは今春女学校を卒業してから一度もなかったような気がした。あわただしい、始終追いつめられて、縮こまった生活ばかりして来たという感じが道子を不満にした。