扉の彼方へ
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
若くして没した父の旧弟子であり、事業家の及川と再婚した二十二歳の私は、気遣いを見せる夫との生活に戸惑いつつも、かつての恋人との苦い記憶を抱えていた。互いに過去の傷を抱えたまま、夫は自身の強固な執着や前妻との悲劇を吐露し、私は夫を支えようと決意する。過去の記憶という厚い扉を共に開こうと模索しながら、二人が本当の夫婦へと歩み寄るまでの心の機微を描く。
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結婚式の夜、茶の間で良人は私が堅くなってやっと焙れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。
「これから、あなたとは永らく一つ家の棟の下に住んで貰わなければならん。遠慮はなるべく早く切り上げるようになさるがいい」
私は良人にこう云われると、持ち前の子供らしさが出てつい小さな欠伸を一つ出して仕舞いました。良人はそれを見るとやや嗄れたような中年男の声に、いたわりの甘味をふくめて、「ははあ」と軽く笑って云うのでした。
「一日中人中で式や挨拶やで嘸窮屈疲れがしたでしょう。今夜はゆっくり寝みなさるがいい。廻り椽の角の日本座敷、あすこはこの先ともずっとあなたの部屋になるところだから、どうにでも気儘にして寛いで下さい」
私はどぎまぎして良人のいうことの意味はよく酌み取れませんでしたが、良人の気性を充分に知っている私は、夫のそのいたわりを全部善意にうけ取ることが出来ました。私は小学生が復習の日課を許して貰ったように、お叩頭をして、つい、
「有難うございます」と云って仕舞いました。
そして「おやすみなさいまし」と元気よく云って立ち上り、良人が呼んで呉れた老女に導かれて部屋へ退こうとしました。その時良人はちょっと手を上げて私を呼び止め、微笑しながら云いました。
「あなたを大切にして上げる気持ち、判ってるでしょうね」
私は、さきにも云いました通り、夫の言葉を全部善意に解して、何を誤解などしようかと、その時も何の気も付かずにいましたが、なるほどあとで考えれば、相手に嫌われてるのではないかと、まだ相手は心に打ち解けられないものを持っているのではあるまいかなど、随分疑ってもよい、良人の仕打ちでないことはありませんのです。私がずっと年下の後添いの妻であるだけに、それが一層あってよい筈でした。