黒足袋
本文約820字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
著者自身の好みや寄席通いの経験を軸に、黒足袋に象徴される庶民的な市井趣味と、それに対する愛着を綴る。東京から訪れる芸人たちとの交流や、病を抱えた落語家の三遊亭円馬を桂文楽がいたわる姿に触れながら、貴族的な茶人趣味とは異なる、黒足袋が持つ独特の情緒や人情味を論じる。自身の生き方や美学を投影しつつ、一生この履物を身につけ続ける決意を示す。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私の家をたづねてくる客の中の和服の人は、どうも黒足袋をはいたものの方が多い。それといふのが和服の客は、多く東京からやつてくる、落語家、講釈師といつた種類の人達だからなのである。京都で和服を着てゐるのは、茶道、能楽、骨董などに関係のある人達が多いので、みんな白足袋ばかりはいてゐるが、東京からやつて来る、それらの市井の芸人達は、まず大抵は黒足袋であつて、それも光沢のある繻子のものは、厭味だと言つて嫌ふのである。
もう五十年来寄席通ひをつづけ、今でも京都では唯一の寄席である新京極の富貴亭の定連株になつてゐる私は、いまだにさういつた芸人付き合ひが止められないので、義理にも黒足袋よりほかはく気にならない。結局黒足袋の持つてゐる庶民的な市井趣味が、私自身の好みや柄に合つてゐるのであつて、白足袋から感じられる貴族的な茶人趣味からは、かなり縁遠い存在らしい。
それにまた黒足袋といふと私には、ちよつと忘れられない思ひ出がある。といふのは今から十数年前、たしか昭和十三年の十一月も末ごろのことだつたと思ふが、当時大阪の萩の茶屋に住んでゐた落語家の三遊亭円馬が、そのころ花月に出てゐた桂文楽を伴れて、土佐から移つて来たばかりの、私の京都のわび住居をたづねてきてくれたことがあつた。円馬はもう中風を病んで、暫く高座を休んでゐる時だつたので、舌も大分もつれ気味で足元も危なかつたが、それをもうその時分大真打だつた文楽が、心からいたはつて世話をしてゐる様子は、かういふ市井の芸人にだけしか見られない人情の美しさを、久しぶりに見せられたやうな気がして、覚えず涙がこぼれさうになつた。その時の二人の姿は、いまだに私の目に残つてゐるが、殊に今猶忘れられないのは、帰り際に文楽から下駄をはかせてもらつてゐる、円馬の足の黒足袋である。
かうして私はある種類の人達からは、下品だとか、俗悪だとか、嗤笑されるかも知れないけれど、おそらく一生黒足袋をはきつづけてゆくことであらう。
完