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TORENDIA

虎

本文約7,900字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

新派俳優の深井八輔は、三枚目役者として観客を笑わせることで生計を立てている。ある日、新作で獣の虎を演じる役を割り当てられた深井は、自身の境遇に葛藤を覚えながらも、成功を期して動物園で本物の虎を研究する。初日、縫ぐるみを着て舞台に立った深井は、観客の喝采を浴びて忘我の境地で熱演を披露する。幕が下りた舞台裏で息子と再会した深井は、情けない役柄を演じる自分を恥じつつも、子の情け深い眼差しに触れて涙を流す。

久米正雄

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新派俳優の深井八輔は、例もの通り、正午近くになつて眼を覚した。戸外はもう晴れ切つた秋の日である。彼は寝足りた眼をわざとらしくしばたゝいて、障子の硝子越しに青い空を見やると、思ひ切つて一つ大きな伸びをした。が、ふと其動作が吾乍ら誇張めいてゐるのに気がつくと、平常舞台での大袈裟な表情が、此処まで食ひ込んでゐるやうな気がして、思はず四辺を見巡し乍ら苦笑した。彼は俳優の中でも、実に天成の誇張家であつた。そして其誇張が過ぎて道化た気分を醸す処に、彼の役処の全生命が在つた。彼は新派中での最も有名な三枚目役者だつた。

彼はもと魚河岸の哥兄だつたが、持つて生れた剽軽な性質は、新派草創の祖たるオツペケペーの川上が、革新劇団の旗を上げて、その下廻りを募集した時、朋輩たちの嘲笑をも顧みず、真つ先きにそれに応募した。が、愈々その試験めいたものを受けた時、川上はつく/″\此の栗頭の哥兄を見て、さて見縊つたやうにかう云つた。

「おまへさんは到底役者になる柄ではないね。」

彼が凡ての言葉を尽したにも係らず、川上は笑つて受け附けなかつた。が彼はそれでも懲りなかつた。而して今度は頭をすつかり剃り円めて、人相を変へて再び募集に応じた。ところが恰度一座が多人数を要したので、彼も川上の眼を遁れ、人々に紛れてうまく採用されて了つたが、入つて了つてから、川上はすぐに彼に気が附いた。

「やあ、此奴とう/\入りやがつたな。」川上は幾分驚嘆の気味で彼に云つた。

「へん、どんなもんです。」と彼は剃つた頭を二つほど叩いて見せた。

「まあ仕方がない。入つたんなら慥りやれ。」と川上も笑ひ乍ら、それでも心中かう云ふ男の使ひ道がないでもないと思つて、快く入座を許さない訳には行かなかつた。かうして彼は俳優になる時から、既に既に[#「既に既に」はママ]立派な三枚目の役を勤めた。而して今では、新派興亡の幾変遷を経て、兎にも角にも由井の一座に、無くてはならぬ俳優となつた。給金も相応には取れる。役者らしく会には女も出来る。――思へば彼もうまい出世をしたものに相違なかつた。

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