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TORENDIA

獅子舞雑考

本文約7,900字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の獅子舞について、その起源や発生、目的および変遷を論じる。アッシリヤ起源説や支那輸入説、そして柳田国男らによる固有説などを検討し、獅子頭に角がある理由や、獅子と狛犬の関係性を考察する。また、一人立と二人立による獅子舞と鹿舞の区別や、仏事から神社へと継承された歴史的背景、さらに各地に残る獅子頭を埋めた土俗信仰などについて、既存の文献や自らの見解を交えて詳述する。

中山太郎

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一、枯れ木も山の賑やかし

我国の獅子舞は、起原をアッシリヤに発し、支那を経て輸入されたものであると、説く学者がある〔註一〕。しかしながら有体に言えば、私の貧弱なる知識では、この説の前半の当否を、批判することが出来ぬのである。何となれば私はアッシリヤに関しては、毫末の知識だに有していぬからである。けれども、その後半である支那からの輸入ということについては、多少とも批判を加えることが、出来るように考えている。

全体、我国の獅子舞については、従来これに関する発生、目的、変遷など、かなり詳細なる研究が発表されている。(A)文献学的の稽査としては、喜多村信節翁の「庭雑考」に載せたもの、(B)民俗学的の考覈としては柳田国男先生の「郷土研究」第三巻に収めたもの、(C)舞踊史的の観点に立脚したものでは、小寺融吉氏著の「近代舞踊史論」における記事を主なるものとして、この他の随筆的のものや、断片的のものに至ってはむしろ多きに苦しむほど存しているのである。従って、今更に獅子舞の起原とか目的とかを、考証せんと企てることは、所謂六菖十菊の愚を敢てするものとして、いたずらに識者の歯を寒からしめるのであるかは知らぬが、下世話に言う枯れ木も山の賑やかしとやら、笑われるのもまた学問のためと観念して、ここに管見を記して高叱を仰ぐとする。

二、獅子舞に関する先輩の研究

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