TRENDIA CLASSIC

仏教人生読本

岡本かの子

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この書を世に贈るについての言葉

二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で怜悧でありますから、仏教の信仰を通して語る私の言葉は、殆んど絶対な理解や同情をみな様にお贈りすることが出来、みな様の「人生解決」のお役に立つことをかたく信じて疑いません。

昭和九年十一月岡本かの子 [#改ページ]

第一課 悲観と楽観

悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代ります。今まで泣き沈んでいた女が気が狂ったのでなく静かに笑い出すときがそれであります。さればとて捨鉢の笑いでもありません。訊いてみると、「ただ何となく」といいます。私はその心境をしみじみ尊いものに思います。

心の底は弾機仕掛けになっているのでありましょうか。どの感情の道を辿って行っても真面目に突き詰めて行けばきっとその弾機に行き当るのでしょうか、必ず楽観に弾ね上って来ます。

「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する砌の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い出話の記録であります。

落城も程近い城中にあって当時若い腰元のおあんはその朋輩とともに、将卒が取って来たたくさんの敵の首の歯におはぐろを塗っているのであります。

将卒たちは自分が取って来た敵の首が白歯のままであるとそれは敵軍の士卒の首であることが判るので、おはぐろを塗って貰って将士の首に見せかけ主人達の感賞に与ろうとするのであります。その役を、危険な混雑な落城も程近い城中にあって心弱い若い女のおあんたちは取乱した様子もなく無雑作にやっているのでありました。悲観の極の楽観と同様、せっぱつまった時の落ちつきです。

憂きことのなほこの上に積れかし

限りある身の力試めさん

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