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TORENDIA

南画を描く話

本文約11,900字 ・ 読了時間 約24分

あらすじ(AIが作成しました)

昨年の春から南画を描き始めた著者が、油絵とは異なる墨絵の魅力や、自身の作画の背景を綴る。亡き寺田寅彦から贈られた一枚の淡彩画に心動かされたことが、本格的に筆を執る契機となった。その後、良質な墨や紙との出会い、知人たちに賛を依頼する交流を経て、作画の愉しみを見出す様子を描く。限られた時間の中で、雪の結晶や草花を題材に試行錯誤を繰り返しながら、自分なりの南画を探究する過程を軽妙な筆致で記録する。

中谷宇吉郎

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昨年の春から、自分では南画と称しているところの墨絵を描くことを始めた。

南画を描くなどというと、段々年をとると、油絵よりも墨絵の方が良くなるそうだねなどと冷かされることもある。しかし私の場合は、そういう趣味が枯れて来たなどという洒落れた話ではなく、もっと現実な理由があるのである。

それはこの頃のように段々忙しくなって来ては、どうにも油絵など描いている閑はなくなってしまったからである。

閑のあるなしは、時間の問題ではなくて、心持の問題だということは真理であるが、それにしても、油絵のように、正味十時間とか十五時間とかとられるのでは、どうにもやり切れない。

その点墨絵の方は大変便利であって、描きかけたら、一時間か二時間あれば大抵の絵は出来上る。もっともいくら初年生の絵描きでも、少しは構図も考えたり、物を見たりする必要はあるので、全体としたら一時間で出来上るわけではない。しかし物を見たりする方は、いくらも時間のやり繰りが出来るので、正味の時間が潰れることはないので、大変助かるのである。少し不心得な話であるが、興味も必要も余りない会議の席などに何時間も唯顔を並べているだけの時などは、卓の上にある羊歯の葉の形を見ているというような場合もあり得るわけである。

この正味の時間をとられるかとられないかということが、私の南画を始めた決定的要素であったのであるが、少し描いて見ると、段々面白くなって来て、この頃は自分ながら少し可笑しいくらいの熱の揚げ方である。もっともそんなに時間がないのなら、何も新しい道楽など始める必要もないはずである。それにはたから見たら随分無理なやり繰りをして、妙な墨絵を描いているところを見ると、よほど道楽者に生れついているらしい。

その弁解をするようであるが、実はこういうことも少し考えているのである。

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