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TORENDIA

千里眼その他

本文約12,400字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

明治四十一年に熊本で発端となった千里眼や念写の流行を振り返る随筆。当時、一部の大学教授や権威がその実在を認めたことで社会的な熱狂を巻き起こしたが、科学的な検証を経て終息した。著者はこの現象を一種の流行性熱病と捉え、当時の世相を顧みることが、大戦下など科学的判断が揺らぎかねない状況における予防医学的な意味を持つと説く。さらに、生物線や戦時中の新製鉄法をめぐる騒動にも触れ、科学の本質と社会の対応を論じる。

中谷宇吉郎

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もう三十五年くらい前の話であるが、千里眼の問題が、数年にわたって我が国の朝野を大いに騒がしたことがあった。私たちも子供心にその頃は千里眼を全く信じていた。子供たちばかりでなく、親たちも信じ、学校の先生たちも信じていたようであった。

この頃或る機会に、その頃千里眼問題に直接関係された先輩の一人から、当時の関係記録を借覧することが出来た。それを読んで行くうちに、私はこの問題は一種の流行性熱病と見るのが一番至当であろうという気になった。

ところでこういう昔の話を今頃になって持ち出すのは、この種の熱病の流行は、必ずしもその国の科学の進歩程度には依らないという気がしたからである。もしそうだとしたら今後も流行する虞れがある。特に大戦争下などにはその虞れが濃厚であるとも思われるので、予防医学的な意味で、当時の世相を顧みておくことも無用ではなかろう。

千里眼の最初は明治四十一年の夏、熊本の御船千鶴子が、密封したものの中を見るという即ち透視の能力を得たと言い出したことに始った。その後丸亀市の長尾郁子が同じような能力を示し、その他にも方々でそういう人が現れて来た。そのうちに念写という問題も出て来た。この方は一層不思議なもので、密封した写真乾板に色々な字だの図形だのを、念力で感光させるというのである。

もしそういうことが本当ならば、それは人間の精神力の神秘を解く鍵となり、また物理学なども全くちがった面貌をとるようになるであろう。従来の科学がその大筋において間違っていなかったならば、透視や念写などということは出来ないと見るのが至当である。

ところが問題はそれが実際に出来るという点にあった。もし実際に出来ることならば、何も問題はないので、そういう事実を説明し得るような学問を作る必要がある。しかしこういう場合に、それが実際に出来たか否かということを決定するのは、案外困難である。手品か詐欺のような要素が巧妙にはいっている場合には、なかなかそれを見破ることは出来ない。

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