科学と文化
本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
自然科学を文化向上の一要素として取り入れる動きに対し、中谷宇吉郎が科学の正しい普及方法を論じる。難解な語句や最新物理学の理論を安易に引用する議論を批判し、科学とは専門外の難解なものではなく、日常的な整理された常識であると説く。科学を芸術の一種として捉え、自然現象への疑問や追究過程を事実に基づいて分かりやすく報告することが、一般の人々に科学的な考え方を浸透させる最善の方法であると提唱する。
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この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々上っているようである。自然科学が従来のように工業的方面にのみ利用されているのにあきたらず、もっと人間の精神活動の方面に、即ち広い意味での文化の向上に役立たせようという企ての一つの現れと思われる。
この運動は科学者の方面と、文学者の一部と両方の側から進められているように見える。科学者の側からは、盛に科学精神の発揚というようなことが唱えられるし、文学者の中には、最近の物理学の急激な発展の齎した結果を文学やその人の「哲学」の基礎に導き入れようという試みをする人が出て来ている。この両方の企ては共に大変結構なことであり、また例えば田辺元博士の如く立派なちゃんとした正道にのった議論をしている人も勿論沢山あるのであるが、中にはその意図が解しがたいものも沢山ある。
その中で一番困るのは、何々と科学精神というような種類の論文であって、何より困ることは難しくて読んでも分らないことである。一時の左翼の論文のようにむやみと難しい言葉が沢山使ってあって、本当にいいたいことが、それらの難語の猛威に打ち挫かれて、砂利の蔭の菫のようになってしまっていることが多い。その菫もどんな貧弱な花でもつけているのはまだよい方で、中には菫か雀の稗か分らぬようなものもある。もっともそれは読む方が悪いので、もっと教養を積んだらあのような論文が皆分るようになるのかも知れないが、そんなサンスクリットで書いた論文のように極少数の人にしか分らないものは、どんな卓説でもちょっと困るのである。