『西遊記』の夢
本文約8,900字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
子供時代に読み耽った『西遊記』は、仏教伝来の余韻が残る古い家屋の雰囲気と共に、空想の源泉として著者の中に深く刻まれる。後に物理学者となった著者が、燉煌出土の資料や探検記録を通じて、玄奘三蔵の旅と物語の世界が現実の地理や歴史と交錯することを見出す過程を綴る。本書は、科学的思考と物語が抱く奔放な想像力が共存する喜びを通じ、子供の知的好奇心や自然に対する驚嘆の心を育む重要性を考察する随筆である。
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子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。
もう三十年も前の話であり、特に私たちの育った北陸の片田舎には、その頃は子供のための本などというものはなかった。
子供たちは、大人の読み古した講談本などを、親に叱られながら、こっそり読んでいた。その頃盛に出ていた小波氏の「世界お伽噺」のようなものも滅多に手に入らなかった。
あの一冊十銭かの本は、たしか全部で百冊あったはずである。もう何回となく読みかえしたそのうちの一冊の末尾には、百冊の題目がずらりと並んでいた。その題目の一つ一つが少年の心には、あらゆる空想の種であった。これらの百冊の題目は、見開き二頁にぎっしり詰っていた。その二頁に、私たちは、いつまでもあかず見入っていた。気に入ったお馴染の題目のいくつかは、その紙面からずっと浮き出して見えた。そしてその活字の蔭に、古い城だの、碧い湖だのの姿が揺曳していた。
そういう頃に、私は帝国文庫の『西遊記』を見つけた。私は町の小学校へはいるために、小学一年の時から町へあずけられていた。その家は旧士族の旧い家柄の家であった。そこには帝国文庫だの、それに類した本が十冊近くもあって、それがあこがれの的であった。
背中に金の文字がはいっているあの厚い本は、中が小さい字で一杯に埋っていて、あれならばいくら読んでもおしまいにはならないように見えた。それに立派な絵も沢山はいっていた。
漸く振仮名を頼りに読めるようになった時に、最初にとっついたのが『西遊記』であった。この頃になって、久しぶりで手にしてみると、劈頭から、南贍部洲とか、傲来国とかいうようなむつかしい字が一杯出て来る。こういう画の多い字が一杯並んで、字づらが薄黒く見えるような頁が、何か変化と神秘の国の扉のように、幼い心をそそった。