楡の花
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あらすじ(AIが作成しました)
札幌の大学の象徴である楡の樹を題材に、春の訪れとともに咲く目立たない花と、研究者たちの在り方を論じる。冬の終わり、枯れ枝の先に僅かに膨らむ楡の花を青春の象徴と見なし、貧乏を厭わずひっそりと研究に打ち込む学者たちの生活と重ね合わせる。世間から憐れみを受けることで平穏を維持する知識人の処世術や、理想的な学者の姿について考察を綴る随筆である。
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私の今つとめている札幌の大学は、楡(エルム)の樹で有名である。
緑の芝生がつやつやと滑らかで、そのところどころに大きい楡の樹が立ち、鮮かな緑の葉が天蓋のように空を蔽っている。夏の陽光に映えたその木蔭から、もとは白壁の校舎が点々と見えた。
全体の様子は、ニューイングランドの或る学校の構内を、そのまま真似たという話である。そしてエルムの学園などという言葉が、戦前まではよく使われたものであった。
内地の若い人たち、特に女学生の人たちの間に、このエルムの樹はなかなか人気があったようである。戦争前までは、夏休みになると、毎日のように、修学旅行の連中が来た。緑の芝生の中に、白いパラソルの列がそろそろ見え始めると、もう夏休みになったという気がしたものである。
ところでこういう美しいエルムの樹の花はどんなだろうかという質問を時々うけることがある。なるほどエルムの花盛りというものは、一寸旅行者には見られない。旅行者でなくても、札幌に住んでいる人でも、殆んど注意を払う人は無いであろう。「エルムの樹に花なんか咲きゃしませんよ」というのが、大多数の人の返事であろう。
しかしエルムにも立派に花盛りがあるのである。四月、といっても、北国の春はおそく、やっと雪は消えたが、地面はまだどろどろで、冬中にたまった汚いものが、その泥にまみれていっぱいちらかっている。空は曇りがちで、鼠色の雲が低く垂れ、いつまでも冷たい風が吹く。そういう時に、冬の間はすっかり葉が落ちたエルムの梢が、まだ枯枝のまま暗い空に交錯してのび出ている。仰いで見ると、墨絵の線描きのような恰好である。
その時よく注意して見ると、どの小枝にもみな点々と心もちふくらまったところがある。丁度葉の芽が出ようとしているところのように見える。それがエルムの花なのである。夕暮に冷たい風の吹く中を、オーバの襟を立てながら、鼠色の空に交錯する枯枝を仰いで「またエルムの花盛りになったね」と冗談を言う友人もあった。