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TORENDIA

亡び行く国土

本文約19,200字 ・ 読了時間 約39分

あらすじ(AIが作成しました)

昭和二十六年の秋、日本を襲った深刻な電力危機と、たび重なる台風による甚大な水害について論じる。台風の雨は水力発電を回復させる恵みとなる一方で、各地で大氾濫を引き起こす二律背反の状況を詳述する。また、石狩川の土砂流出の観測データに基づき、治水工事が河川の安定状態を損ない、国土の劣化を招いている現状を指摘する。場当たり的な対策や開発計画の無策を批判し、科学的かつ総合的な視点による国土のあり方を問い直す。

中谷宇吉郎

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一 洪水か電力危機か

昭和二十六年の秋は、電力の危機が全国的に叫ばれ、その中でも関西地方の電力危機は、文字通りの危機であったらしい。大阪附近の工場がとくにひどくて、電力不足のために工場が休む、その生産低下による損害のために、中小企業家は倒産に瀕したと騒がれていた。

その理由は昨年の夏から秋にかけて台風がこなかったために、水が不足になり、そのために生じた電力危機であるといわれている。日本も戦争の末頃から、まことに哀れな国になったものである。台風が来れば大洪水が全国的に起きて、洪水だけでも日本は滅びるというような大騒ぎになる。たまたま昭和二十六年のように、台風がこない年には、今度は電力の危機がやって来る。こうなると台風が来ていいのか、来て悪いのか、全く戸惑いする状態になってしまった。

しかし日本の電力危機は、何も今日に始まった話ではない。もう二、三年前から、少しでも日本の電力事情について知識を持っている人たちは皆、十分に承知していたことである。そういう人たちは、たびたび警告を発してきていたはずであるが、その人たちの言葉は最近まで全く一笑に付せられてきた。それはその前年も、前々年も、即ち昭和二十五年も四年も、電力事情が敗戦後の国としては予想外によかったからである。

戦争中に電源の開発が遅れ、また古い発電所の整備も行なわれなかったために、発電能力は著しく減っていたはずである。それにも拘らず、二十四年もまた二十五年も、どうにかそうひどい電力飢饉にめぐり会わずに切り抜けられてきた。それで人々は、一応日本の電力の危機を忘れた形であった。しかしこれらの年に、とにかく電力事情が、それほど悪化しなかったのは、この二、三年来、特別な異常降雨があったからである。即ち夏から秋にかけてたびたび台風が訪れて、その台風が、みな山岳地帯に大雨を降らせるような性質の雨を持ってきたために、水力電気は、かなりの程度まで、その窮状を暴露しなくても済んできたのである。

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