TRENDIA CLASSIC

救われた稀本

中谷宇吉郎

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この書は未完であり、かついわば草稿であって、まだ十分な推敲を経たものではない。しかしこの書は、わが国では類例の少い独自の著述である。このままの形でも、真に学問を愛し、科学の本質を知りたいと願う人々に、一度熟読をすすめたい本である。

終戦直後、九州のある友人から、むつかしい質問をうけたことがある。それは公共的な意味で使いたい紙の手持ちが少しあるが、それを新生日本の糧として残すという意味で、本にして少数の人に配っておきたい、その目的に適うような本を、明治・大正・昭和を通じて一冊だけ選んで貰いたいというのである。

これはずいぶんむつかしい話であるが、いろいろ考えあぐんだ末、結局私はこの『物理学序説』を推薦した。ずいぶん大胆な話であるが、私の知っている範囲内では、そういう無理な註文に対しては、外にいい考えが浮かばなかったのである。実はこの『物理学序説』には私は前から少し因縁のようなものがあった。この原稿は危く誰の眼にもふれないで、湮滅してしまう危険がたぶんにあったのであるが、幸運にも全集編纂の時に、世に出ることになったのである。

この原稿は、岩波書店で昔『科学叢書』というものが計画された時に、そのうちの一冊として書き始められたものである。全集編輯者の調べられたところによると、大正九年(一九二〇)十一月十二日に稿を起し、予定の三分の一余りのところで中止されて、未完結のまま残されていたものである。先生にこういう意図があったことは、初めは誰も余りよく知らなかったようである。

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