探檢實記 地中の秘密
本文約4,400字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
武蔵の権現台における太古遺跡の初発掘を記録する随筆。筆者が水谷幻花や友人らと共に大井の台地で貝塚を発掘し、土偶や土器などの遺物を次々と発見していく過程を描く。開発により遺跡が畑へと姿を変えていく変遷や、掘り進める中で起きた奇談、共に汗を流した仲間たちのその後を回顧する。地中の秘密を暴いた人間としての罪悪感と、過ぎ去った日々への深い懐旧の情を綴る。
💰 この本を応援する(投げ銭)
――初めての發掘――權現臺の歴史――貝層より石棒――把手にあらで土偶――元日の初掘り――朱の模樣ある土器――奇談――珍品――地主と駄菓子――鷄屋の跡――
太古遺跡の發掘に、初めて余が手を下したのは、武藏の權現臺である。それは余の品川の宅から極めて近い、荏原郡大井の小字の事。東海道線と山の手線と合して居る鐵道線路の右手の臺地がそれで、大井の踏切から行けば、鐵道官舍の裏から畑中に入るのである。
余は併し大概蛇窪の踏切の第二の線を越して、直ぐと土手に登つて行くのである。
初心の發掘としては此の權現臺は大成功であつた。無論遺物が豐富でも有つたのだが、宅から近いので、數々[#ルビの「しば/″\」はママ]行き得られたのと、人手が多かつたのも勝利の原因であつた。
されば余として、終生忘るゝ事の出來ぬのは、この權現臺の遺跡で、其所の地を踏む時は勿論、遺物の一片を手にしても、直ぐと其當時を思出すのである。成功した其時の嬉しさも思出でるが、併し多くは其時一處に行つた友の、死んだのや、遠ざかつたのや、いろ/\それを懷出して、時々變な感情に打たれもする。
三十五年の九月、日は忘れたが初旬であつた。それが權現臺最初の發掘で、其頃余の宅は陣屋横町に在つて、活東望蜀の二子が同住して居た。後に玄川子も來た。
文士相樸が[#「文士相樸が」はママ]盛んな頃なので、栗島狹衣氏が殆ど毎日の樣に來て居たので、狹衣子と同じ朝日新聞に居る水谷幻花氏も、其縁で遊びに來出した。
今日は天氣が快いからとて、幻花子が先導で、狹衣、活東、望蜀の三子が、鍬を擔いで權現臺に先發した。後から余も行つて見ると、養鷄所の裏手の萱原の中を、四人て[#「四人て」はママ]連りに掘散らして居る。なる程貝塚とは這んな物だなと初めて余は地中に秘密あるを知つた。
此時分の發掘法といふのは、幼稚なもので、幻花子はハンマーでこつこつ掘つて、布呂敷で貝殼を渫ひ出す位ゐ。