錢形平次捕物控
本文約25,000字 ・ 読了時間 約50分
あらすじ(AIが作成しました)
青山長者丸の万両分限・村越峰右衛門の屋敷で、主人の命を狙う者がいるとの相談を受けた銭形平次は、その家に出入りする宗之助と名のる者と弟・春吉に疑いの目を向ける。宗之助らは峰右衛門を脅かし続けてきたが、平次と八五郎の介入により、娘であることを隠し、家族の恨みを晴らそうと画策した宗之助の企ては追い詰められる。一連の事件の裏には、己の保身に走る主人への憤りと、過酷な運命に翻弄された姉弟の悲劇があった。
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一
「世の中に何が臆病と言つたつて、二本差の武家ほど氣の小さいものはありませんね」
八五郎はまた、途方もない哲學を持ち込んで來るのです。
「お前の言ふことは、一々調子ツ外れだよ、武家が臆病だつた日にや、こちとら年中腰を拔かして居なきやなるまい」
平次は大して氣にも留めない樣子でした。障子を一パイに開けると、建て混んだ家並で空はひどく狹められて居りますが、一方から明神樣の森が覗いて、何處からか飼ひ鶯の聲も聞えてくると言つた長閑さ、八五郎の哲學を空耳に聽いて、うつら/\とやるには、申分の無い日和です。
「でも、さうぢやありませんか、親分、武家も大名ともなれば、年がら年中自分の首ばかり心配して、障子に棧をおろしたり、お妾との睦言にまで、見張りの宿直が、屏風の蔭で耳を濟まして頑張つてゐるといふぢやありませんか、さうなつた日にや、色事だつて身につきませんね、親分」
「だから大名にはなり度くないと言ふんだらう、良い心掛けだよ、お前は」
「旗本は家人だつて自分の首を何時取られるかと思つて、ビクビクし乍ら一生を送つて居るやうなのは、隨分澤山ありさうぢやありませんか。武家屋敷といふと、町人の家より戸締りが嚴重な上に、長押には槍が掛けてあるし、御本人は御丁寧に冷たい人斬庖丁を、二梃も三梃も取揃へて、生涯添寢をしてゐるんだと思ふと、あつしは氣の毒で、氣の毒で」
「安心しなよ、誰もお前を武家に取立てるとは言はないから」
「聽くと何んでも、主持ちの武家がうつかり押込にでも入られて、手籠にでもされやうものなら、腹を切るか永のお暇になるか、兎も角も、生涯人に顏を見せられないことになるんですつてね」
「そんなこともあるだらうよ」
「だから起きるから寢るまで、人斬庖丁を傍から離せなくなる」
武士の魂たる兩刀を、脅迫觀念の禁呪のせゐにしてしまつたのは、まさに八五郎の新哲學だつたのです。
「それはわかつた、岩見重太郎だつて、宮本武藏だつて、八五郎よりは膽つ玉が太くなかつたかも知れないといふことにして、お前は一體何んの話をしに來たんだ」
平次は膝をツン向けました。八五郎の『武士臆病論』には何やら含みのありさうな匂ひがするのです。