TRENDIA CLASSIC

洗いづくりの世界

北大路魯山人

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これから当分はさかなの洗いづくりの季節である。洗いにもいろいろあるが、一番美味いのは鮎の洗いである。鮎の五、六寸ぐらいの、もちろん獲りたてのものか、または生かしてあるのでなければならないが、これを三枚におろし、片身を斜めに五、六枚につくり、蓼酢、わさびなどを調味に添え、肉のいかったのを食う。

鮎特有の澄んで、うるみのある匂いにからんで、一種の天才そのもののような肉の味わいが感覚される。東京にいて考えると、たいそうぜいたくなようであるが、鮎の獲れるところでは、別段のことでもないのである。現地で、しかも、食膳のあたりに山嵐の気でも迫るようであれば、いよいよもって得たり賢しである。この鮎を洗いにして食べる法は、従来の背ごしづくり以外には、あまり一般に行きわたっていないようであるが、味覚の検討、次第にやかましさを加え、交通の利便いよいよ適するに従って、必ずや相当のひろがりをもつに至るだろう。

山川のさかなでも、他に洗いにして美味いものにいわながある。いわなという奴は、深い山から絞り出される雪解けの冷たい水に育つ。大きなのは一尺五、六寸もあるが、八、九寸ぐらいのものを洗いづくりにしたその味わいといったら、まことに一種容易ならぬものがある。

鮎の肉とはちがって、これはもちもちとした鈍重な舌ざわりで、しかも、その中に言いようもなく淡泊で、調子の高いものが含まれている。薄紅を誘って、ほのぼのとした白さをもち、大半透明なところで打ち止めている。その肉の色を見ただけでも、食味の機能はおのずから動き出ようとする。しかし、これも都会にいては話に聞くだけのもので、どうするわけにも行かぬが、暑を山中に避けて、もし、いわなが手に入った場合、これを試みないという法はない。

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