田螺
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あらすじ(AIが作成しました)
田んぼから響く鳴き声が田螺のものか蛙のものかという論争や、季節の風物詩としての田螺の存在について綴る。さらに、各地で親しまれる生薑煮や味噌汁、木の芽和え、田楽といった田螺料理の数々を紹介し、その食としての魅力を論じる。幼少期に重病から回復した自身の経験を交えながら、身近な食材である田螺への深い愛着と、食通を唸らせる滋味あふれる食材としての価値を説く。
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このごろ田の中で、からからからからと歯切れよく鳴く声が、ときに盛んに、ときに烈しく聞える。ある者はたにしだと言って、たにしの声を知ることに鼻うごめかし通がる。なに、あれは蛙だと、うそぶく。この争いは毎年毎年その季節になると、毎日のように誰かがやっている。嘘と思うなら壺の中にたにしを入れ室内に置いて見よと言うが、さて、それをわざわざ試みるほどの物好きもない。しかし、蕪村の句と伝えるものに、こんなのがある。
よく聴けば桶に音を鳴く田螺哉 して見ると、蕪村は煮られる前の桶の中のたにしの声に聞き入ったものか、ことさらに桶に入れて聴いたものか。とは言ってみても、遂にたにしの声か、蛙の声かは謎として、いつも都人士に葬られてしまうのが常である。
しかし、たにしも鳴く、蛙も鳴くでよかろうと思うのである。それよりも、たにしという奴はなかなかバカにならぬ美味の所有者であることだ。
田の中にざらにたくさんいるのを知るところから、誰しもが先入主的に稀に見る美食として重きをおかない習慣をつくる。食通は言い合わしたようにこれをよろこばないものはない。たにしがひょこっと料理の突き出しにでも出ると、吾人はなにはともかく、親しみを感じる。にこっとせざるを得ない。生薑をたくさん刻み込んで煮つけたのは通常どこでもやることだが、どこで食っても大概食えるものである。出雲の地方では、これに酒粕を入れて煮る。これは大分料理として発明されたもので、たしかに合理的でもあり、すこぶる上々に価する。