TRENDIA CLASSIC

習書要訣

北大路魯山人

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普通習書と申しますと、ご承知の通り筆をもって習うことが主なんでございますが、実は筆をもって習うということもさることながら、書を分ろう、書というものはどういう「質」のものであるかということが分りたい、分らなくてはならない、そういう「書性」とでもいうことをお互いに分っていこうということが主でありまして、書く方が第二なんであります。私の考えでは、結局、分らなければ書いたって仕方がない。分らないで書いているということは、盲目的に筆を振っていることであるから、その結果が良いのか、はっきり自分も分りはしないというようなことに陥りやしないかというのであります。

それで、私が今までに経験しましたところによりますと、これから申しますようなことは、どうも我々の先輩がいっておいてくれなかったことで、それからまた書物にも余り書いてないように存ずるのでございます。書の上手下手は、いろいろな形容詞をもって、ことに中国では巧みな形容詞を使って説明してありますが、いずれも抽象的でありまして、我々を心の底から動かすというわけには行かない。それで、我々が知る範囲の人たちをもって私が経験しましたところによりますと、訳が分らずに書を恐がるとか、書けないことを無闇に恥ずかしがるというようなことでございます。これは畢竟するに、書というものがどういうものであるか、という点をよく把握しておらないために、恥ずかしい、恐いという感じがするのであると思うのであります。

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