本文へ移動
TORENDIA

書道習学の道

本文約640字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

世間の書道教育は技巧や外見に偏っており、専門の書家が芸術や美術を解さないために優れた書が生まれない現状を批判する。書を学ぶ際は俗な表現に陥らぬよう注意が必要であり、技術を単なる手の習熟で終わらせず、自己の身につく域まで高めることの重要性を説く。習字の要訣として、初心における心掛けが稽古の質を決定づけることを論じ、真の芸術としての書道習学のあり方を提言する評論である。

北大路魯山人

👁 1 ビュー
速度
🎧 書道習学の道 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 1

世間、書を説く者は多いが、それは必ず技巧的にのみ観察したものであり、かつ、外見にのみ凝視することに殆ど決定的に偏している。すなわち、書家の書がそれである。ゆえに遠い昔はいざ知らず、近代では書家の書にうまい書があった例は皆無といってよい。全く書を専門に教える習字の先生から尊ぶべき書が生まれた試しはない。この一事実の現われは誰にとっても、うかうかと書家の教えを蒙る訳にはゆかない。

書家の書というのは、なぜそんなに価値がないか。書家の習字法は、なぜそんなに偏するか。それを一言にしていうならば、書家に芸術がないからという他はないのである。ついでながら美術もないからである。近い例としては市河米庵、巻菱湖、貫名海屋、長三洲、日下部鳴鶴、巌谷一六、吉田晩稼、金井金洞、村田海石、小野鵞堂、中林梧竹、永坂石等……みな芸術を解するところがないばかりでなく、美術を識らなかった。ために書道を誤認していた。従って後に遺るべき尊き書は生まれることがなかった。その中、辛うじて貫名海屋ひとりが若干実を識るのみであって、他はいずれも俗流で一時を鳴らしたに過ぎない。

習字の要訣というのは、俗書に陥らざる理解と用心が肝要である。

書に限らないが、書はすなわち、身につく所にまで進まなければならない。手につく所までは誰しも行くが、身につく所には大概至らないで終るものである。身につくというのは、稽古離れする時の出来栄えである。稽古離れということは、その先入主ともなるべき最初の心掛けが重き役目を勤める。(昭和九年)

完

北大路魯山人の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本