TRENDIA CLASSIC

書道を誤らせる書道奨励会

北大路魯山人

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書道展覧会など殆ど全部がといって差支えない今の書家風の書、すなわち手先の器用で作り上げる「書」形態は、筆調は体裁上、一寸見に本当の能書と変るところなきものかに見える。が……実は能書のイミテーションだ。今少し手厳しくいえば能書の偽造だ。贋造紙幣製作と同義を持つものだ。例えば真の能書たらんには東に向うべきが当然であるべきを、西方に向って筆心を進めている、これが書家の書だ。最初からてんで見当が違っている。天の星を買おうとする愚者に似たものだ。手先の器用で造られる字はこれなのだ。近頃書道の勃興とともに上野あたりで催される書道奨励会などは、目的としてその偽造能書を作らんとする考えでないこと固よりいうまでもないが、書の生命に心得ある者のないため?偽造能書を生み出すべくこれつとめている観ある事を如何ともなし難い。受賞者はやがて成功の暁、デパートに調法な筆持ちとして雇用される以上の何者でもない。それが不足でないというならば万事休するまでではあるが、さに非ざる夢がありとすれば、実に気の毒千万な訳である。

一六、鳴鶴はもちろんのこと、三洲、梧竹、いずれも書道の根本を弁えそこなった結果、方向を誤って、書は手先の能くする所と合点し、書道に筆ばかりを擂り減らしたものだ。その結果として徒らに反古の山を作った。それらの歿後、その墨蹟が何の価値なきのみならず、あさましい醜体を縁日の店頭にゼロを以て曝すに至っては、将に後進をして否応なしに悟らしめるものがある次第である。以上、書家輩の誤った習字学を挙げて前車の覆りたる光景に譬えたりとて、誰か識者のあって異議挟む者があろう。風采、容貌のみの仕掛けをととのえて、児女の目を眩ますものは芝居である。辺幅を飾るに腐心常なき者は、人格的内容のないやくざ者と、昔から相場は決っている。

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