TRENDIA CLASSIC

墨蹟より見たる明治大正の文士

北大路魯山人

1 / 5

銀座松屋に十月中、明治大正の文士の墨蹟及び遺品の展観が催された。小生は「人」の価値を見るに常に墨蹟によって判断する事を得意とする。人の評判や世間の噂では間違いが多いことがあるので、自分は人を見ることは、必ず墨蹟に拠ることにしている。墨蹟とは主に「書」である。画でも判らないことはないが、書で見ることが一番である。

昔から有名な人物はもちろん、その時々に生まれ出ずる有名な人物、流行児などについて、その真価を見極めることは、その人の筆蹟に拠り判ずることが小生としては、一番慥かな方法であって、人心、人格、人品などの観破術として、以前からこれを用いているのであって、従来の経験に徴して百発九十五中ぐらいの率で成績を挙げている。

書といっても、書家がいうような結体完備運筆巧致を云々するのではない。習字した書であっても教養のない釘折れでも、そんなことは構わないのである。筆蹟に表われたる気格、心韻に拠って察するのである。ここに軽薄な与太先生があったとする。すると、その人の筆蹟にチャンとその与太が表われていて便利なのである。その反対に乃木大将のような立派な人格者には、世間で評判する如く立派なものが霊的に表現されているので、懐疑がなくなるのである。

墨蹟の上に一番鮮明に表現されるものは、至純、横着、気宇の大なる者、小なる者、気取家、虚勢、虚飾、雅趣ある者、なき者、下等人物、上品なる者、熱ある者、なき者、学者、無学者、信力ある者、なき者、強き個性、弱き個性など、大体表われるものである。ゆえに甚だ僭越な申し分であるが、現内閣のお歴々でも、顧問若槻氏でも、また犬養、床次、鈴木諸氏であっても、それらの人の持った力によって得るところの将来如何というようなことについては、小生の墨蹟観により、ある程度までは図星を指し得ることができるように思っているのである。

北大路魯山人の他の作品