長次郎(安土、桃山時代)……日本陶芸史上唯一の芸術家。
本阿弥光悦(安土、桃山から江戸初期)……多趣味多能にして広範囲の美術鑑賞眼をもつ道楽者。
長次郎三代 のんこう(江戸初期)……のんこうには長次郎にみられる強さはない。豊かさに於ても格段に劣る。
野々村仁清(江戸初期)……陋習の中国趣味を捨て去り、純日本美を陶器に移し、優雅極まりなき日本固有の美術表現に終始せし一大創作家、衣冠束帯を身にまといながら自由にふるまいし作家。
尾形乾山(江戸初期)……陶画家で陶器家ではなかった乾山。光悦に優るとも劣らぬ点が身上である。
奥田穎川(江戸中期)……不幸日本美の優雅を知らず中国趣味に走った点は穎川の落度。
青木木米(江戸中期から後期)……惜しいかな木米も茶の美(日本美)を識らなかった。だが師穎川の程度を遥かに離して特異の天分を発揮した。(陶芸家)
仁阿弥道八(江戸後期)……これより職人芸はじまる。(名人)
永楽保全(江戸末期)……(職人芸)
真葛長造(江戸末期)……(職人芸)
夕顔棚に身を縛りつけ、涼を取らんとするが如き現今の一部作家。
私は大分長い間製陶研究をやってまいりましたので、製陶の上では少々は知っておるわけですが、陶器の話というのはなかなかむずかしくて、口では容易に言い表わせない恨みがあります。陶器のことを親切に説明した人に、この間逝くなった大河内正敏さん、高橋箒庵などという人があります。親切にこまごまと説明してありますが、製陶の経験をお持ちになっておられないものですから、私から言いますと、ああいう人たちの臆測は往々歯がゆい結果になることがあります。その点が私どもの少し頼みにしているところなので、製陶といってもいろいろな陶種を研究してみますと、古い昔の作品を見るのに便利なことがたくさんあります。たとえば釉薬ですが、今田中さんが話しておられたことで、たいへん勉強したのですが、灰を掛けるとか、釉薬のことになって来ると、製陶経験がないために怪しくなって来るのです。