染付は今から五百年ばかり前の支那明代に完成したものである。それ迄にはこんなスキツとした美しい焼物は実に見たくも見られなかつたと言ふべきだ。これには恐らく間違ひはないといつてよい。
然らばそれまでにどんな焼物が生れてゐたかと言ふに、先づ漢窯から唐三彩、それから宋になつては青磁だとか赤絵だとか、又は中には鉅鹿といふ頗るつきの名陶器もあつたのであるが、此等は何れも概してその作意が重く、釉類釉法も亦決して無審判ではなかつたが、然し新生の染付のやうに腹の底をわつて見せたといふ処へは、まだなかなか行く事が出来なかつた。
染付が初めて完成してその顔を見せた時、当時の支那の人はこれをどんなに驚き且つ喜んで迎へたであらう。それ迄とて何れはどこかの一部でこれが完成の為の研究がしつかりと積まれて行つてゐたであらうが、その出来上つての効果が、まさかこんなに立派であらうとは夢想だもしなかつたに違ひない。
今迄に夢想だもしなかつた染付のあかるくてさつぱりとした美しさ、然もそれは高火度の磁質のもので、その光沢、その釉色、とても今迄の焼物には求められなかつた処のもの――といふ以外に、好むがままの形、すきなやうな模様が、殆どいくらでも無限的に、至つて気やすく作られる染付――実際人によつては感激、興奮、殆どその度を知らなかつたであらう。
そしてその驚喜と讃嘆とは独り支那だけに止らなかつた。忽として海外へ、国外への輸出となつた。勿論その東隣のわが日本へも好まれ、無数に送つてよこされた。それには明の帝室を始め時の人の上下が挙つて出来るだけ勢ひをつけた。
染付を見る事によつて時の人の心持は一段にあかるく朗かだつた。それは丁度夜から引出された昼の、忽然たる相そのものではなかつたか。乃至は明けても暮れてもただ鬱然たる山をだけしか見る事の出来なかつた人の前に、図らずも開けた青海原のそれであつたかもわからなかつた。