TRENDIA CLASSIC

坐辺師友

北大路魯山人

1 / 3

益友と交わることの有益を説き聞かせた者は孔子である。誰しも生まれながらに、それを感付いていない者はなかろうが、孔子のような人から明瞭に言われてみると、また感を更たにすると言うもの。しかし、それは生存中の人間のことを指していると決められてはいないだろうか。益を受くる者固より生存者、益を与うる者固より現存者なるかのように世の多くは解釈している。しかし、益友を人間のみに限ることは、あまりにも当然すぎて莫迦正直すぎる。

私はかつて銀座のデパートに催された明治以後著名作家として知られた一流文人の家庭に於ける居室、書斎の実景を、遺留品の羅列によって見せられたことを記憶するが、それは驚くべく低調な備品からなる生活であって、書籍を除いては文豪の日常居室には美術系統、美的趣味などと言ったものには、一顧に価いするものも備えられていないというみじめさであった。

彼等は坐辺に声無き益友を持たないと言うことである。否声無き悪友に同席を許していたともなる。チト古い形容かも知れないが、森羅万象なんであろうと、美しき内容を持つ限り、受け方一つで益友たらざるものはない。また、過去の人間、即ち我々が先輩である人々が遺してくれた美術芸術の数々、これらを指して益友と言うが妥当か、師と仰ぐが正しいか、これは自己の見識できめてよいとして、いずれにしても故人遺すところの芸術は手も届かぬ高さに麗しく光るものが多く有り、驚嘆に価いする事業を見る。これに感動するところをもって望めば、育ての親ともなり、幾分なりとも自分を高きに導いてくれる神仏でもある。

自分は聊かこの点を心に掛けて来た者であるが、主として味覚道楽に浮身をやつし益友の限界を狭くした形であり、後悔せんでもないが、それでも益友を人間とのみ限らなかった点は、大なり小なり至楽の生活を益したかも知れない。

北大路魯山人の他の作品